【Society】未納の防衛費1.1兆円と「AI教育」の危うさから考える、この国に決定的に欠けている「国家観」
最近、ニュースや国会質疑を観ていて、どうしてもぬぐえない強い違和感があります。 「アメリカへの防衛装備品調達で、何兆円もの前払金を支払っているにもかかわらず、いまや1.1兆円規模もの未納入・未精算(代金は支払い済みだが物品が届かない、あるいは精算されず放置されている状態)が発生している」という問題です。

民間企業の取引であれば、前払金を出したのに1兆円もの注文・精算が放置されていれば、即座に契約違反であり大問題となります。しかし、これが国家の「防衛」という名のもとでは「FMS(対外有償軍事援助)というそういう仕組みだから仕方がない」と処理されてしまう。さらに恐ろしいことに、こうした未納や未精算の問題はトランプ政権以前、それこそ1990年代から会計検査院に繰り返し「国費の無駄遣い・不適切な経理」として激しくツッコミを入れられ、国会で決議が出されてもなお、何十年も放置され続けている構造問題です。
そもそもFMSとは、米国の「武器輸出管理法」に基づく調達制度です。一見すると対等な売買に見えますが、その実態は「価格はあくまで見積もりで後から値上げ可能」「代金は全額前払い」「納期は予定であり、遅れても米国側にペナルティは一切ない」という、圧倒的に買主(日本)に不利な不平等契約です。台湾など他の同盟国も同様の未納問題に悩まされていますが、日本はその支払額の大きさと対米従属の深さにおいて群を抜いています。これ、自民党の姿勢の問題だと思うんですよね。
しかも、この問題は過去の話ではなく。かつて年間1,000億〜2,000億円程度だったFMSの契約額は、安倍政権下の爆買いを経て、岸田政権が決定した「防衛費GDP 2%(5年間で43兆円)」の枠組みにより、いまや単年度で1.4兆円〜1.5兆円規模へと跳ね上がっています。政権が変わるごとに米国への配慮と「防衛予算の枠」だけが爆発的に増えた結果、米側に手渡す前払金も跳ね上がり、それに比例して宙に浮く未納・未精算の規模も過去最大級(1兆円超)に膨れ上がっているのが現状です。
米国製の高額なイージス・アショアやステルス戦闘機F-35、トマホークなどのために数兆円単位の前払金を米国に差し出し、現場にはブツが届かず1兆円以上の国費が精算もされずに放置される。その一方で、国内の防衛産業や現場技術者の予算は削られていく。これこそが、対米従属のなれの果てに起きている「防衛の空洞化」です。なんとなく、時代の空気から「トランプ政権が」となりそうなんですが対米従属の結果として、ずっと起きている話なんですよね。これ。
※こうしたFMS調達における「未納入」や「未精算(過大な前払金の放置)」問題については、会計検査院が1990年代から繰り返し調査し、国会でも警告が発せられています。 ご興味ある方は、是非目を通してみてください。結構、興味深い資料ですし、改めて実際に起きていることはできる限りの形で行政は公開しているという事実を知ることができます。
【参照資料】
会計検査院「有償援助(FMS)による防衛装備品等の調達に関する会計検査の結果について」
国立国会図書館『有償援助(FMS)調達の概要と課題』(PDF)
その一方で、国内に目を向ければ、信じがたい「知の空洞化」と「文化の解体」が平然と推し進められています。
教育現場では「国語や算数などの基礎学力の時間を削ってAI教育を入れよう」などという本末転倒なツール至上主義が横行。さらに政権の「骨太の方針」や行政改革の文脈では、歴史・哲学・言語学といった人文社会科学を「すぐに役に立たない」「稼げない」として削減・縮小の標的にしています。そればかりか、地域の歴史や学術資産を守ってきた博物館、美術館、図書館に対し「売上や採算が立たないならお取りつぶし」「民営化か自己収入比率の向上を」と迫る——まるで自ら国の知性や歴史を焼き払う「令和の文化大革命」のような荒廃が起きているのです。
米国には数兆円単位の前払金を差し出し、1.1兆円もの「留保金(未納・未精算)」が発生して放置されていても指を咥えて見ている一方で、国内の教育や文化、学術に対しては数十億円、数百億円の予算すら「財源がない」「効率化せよ」と締め上げる。これは単なる予算配分のミスではありません。自国の知的基盤を自ら切り崩し、思考力を奪っていく「意図的な教育・知性の空洞化」とすら言える惨状です。
今の日本の政治や行政を見ていると、圧倒的に「国家観」が欠落していると感じざるを得ません。目先の数字や表面的なツール(兵器やAI)に振り回され、国を根底から支える「足腰」を自ら削り取っている。そこにあるのは、対米追従という「去勢されたイデオロギー」だけであり、国をどのように生かし、文化と知識を次世代へ繋ぐかという「国家的思想」の完全な欠落です。
本当に「高額なアメリカ製兵器」を買い集めさえすれば、この国と国民を守ることができるのでしょうか?
防衛の「第一線」とはどこか?——兵器の前に「兵站」がある
防衛(安全保障)という言葉を聞くと、多くの人は最新鋭の戦闘機やイージス艦、ミサイル防衛システムといった「目に見えるハードウェア」を思い浮かべるかもしれません。しかし、軍事や歴史の鉄則から言えば、前線の兵器など防衛のほんの一部分に過ぎません。
有事において最も重要なのは、部隊と国民を生かし続ける「兵站(補給・基盤)」です。どれほど高性能なミサイルを持っていても、食料が尽き、インフラが寸断され、自前で技術を維持・修理できなければ、国は戦う前に自滅します。
欲強兵者、務富其民
これは、中国戦国時代の思想書『管子(かんし)』に書かれた格言で「軍隊を強くしたいと願うならば、まずは自国の領民を豊かにすることに力を注がなければならない」という意味です。
大事なことは、ここなのですが今の日本って、真逆に行っているなーと。思ってて。
今、日本の安全保障議論で完全に放置されていると僕が感じている「3つの国家基盤」について書きますね。
1.食料基盤(農業・漁業)は「最強の兵站」である
日本の食料自給率(カロリーベース)は現在わずか38%程度に過ぎず、主要先進国(G7)の中で突出して最下位です。さらに深刻なのは「肥料」や「種子」の多くも海外に依存している点で、有事に海上封鎖や物流途絶が起きれば、この国は数ヶ月で壊滅的な食料危機に直面します。どれほどアメリカから1隻・1機あたり数百億円のイージス艦や戦闘機を買い集めようと、自衛隊員も国民も飢えれば戦うどころか社会システムそのものが維持できません。
この壊滅的な食料依存の原点は、戦後の対米政策にあります。1950〜60年代、日本はアメリカの余剰小麦を受け入れる見返りにパン食文化を急速に広め、本来の主食であった「米」の消費量を半減させました。結果として自給率100%を誇った主食の米を減反政策で削減し続け、輸入頼みの小麦や飼料穀物に依存する構造自らを作り上げてしまったのです。(まー、自民党がアメリカの言いなりだったからなんですけど)
これに対し、欧州(EU)は全く異なる道を選びました。例えばフランスやドイツでは、「共通農業政策(CAP)」に基づき、農家の所得を国が直接補償する「直接支払制度(農業予算)」を数十年にわたり巨額投資として維持しています。農家を単なる事業主ではなく「国土と安全保障を守る公務に近い存在」として保護し、食料自給率を高水準(フランスは約130%)に保ち続けているのです。本来、これが正解だと思うんですよね。日本列島を強くしたいなら。先日、鈴木農林水産大臣や江藤元農林水産大臣による政府備蓄米の買い戻し・価格維持の打診を高市首相は突っぱねましたよね。あの辺見ていても、高市首相は兵站に関する危機感がまるでないなと。
日本が今やるべきなのは、輸入依存の歪んだ食料構造を脱却し、「米を中心とした国産穀物への回帰」と「農家への直接所得補償の本格化」です。休耕田を活用した米・小麦・大豆の増産や、米粉の活用推進に防衛予算レベルの資金を投入すること。これこそが、あらゆる軍事議論の前提となる「第一線の安全保障(最強の兵站)」に他ならないです。これができずして、「国防」はないなと。
2.国土・インフラ基盤(土木・林業)は国家の動脈である
どれほど最先端の兵器やドローンを揃えても、道路が崩落し、港湾が機能せず、山崩れで補給路が途絶えれば、防衛も救助も立ち行かなくなります。土木・林業・治山治水といったインフラ基盤は、平時の暮らしを支えるだけでなく、有事や大規模災害時に部隊や物資を動かし続けるための「動脈(抗たん性)」そのものです。しかし、この分野も長年の失政によって瀕死の重傷を負っているというのが現実です。
かつて安価な輸入木材(外材)へ依存を深めた日本は、国内の林業への補助金を削り、その重要性を軽視し続けてきました。結果として戦後に植林された多くの人工林は間伐もされず放置され、根が張らないスカスカの山林が増加。今や大雨のたびに大規模な土砂崩れを引き起こす「国土の脆弱化」という自爆攻撃のような状況を招いています。手入れされた健全な森林と自給できる林業基盤こそが、天然の防波堤であり重要な資材・エネルギー源なのです。
また土木分野に目を向けても、過去の「無駄な道路や箱もの工事」への批判(いわゆる「コンクリートから人へ」の波など)の極端な反動により、公共事業予算が一括して目の敵にされ、削られ続けました。その結果、老朽化した橋やトンネルの補修すら後回しにされ、建設・土木業界の現場力は急激に低下。
さらに深刻なのは、現場を支える「技術と人の育成基盤(アカデミア)」の崩壊です。
2004年の国立大学法人化以降、国からの「運営費交付金」が削減され続けた結果、大型の実験施設や維持費を要する土木・建築工学の研究室は直撃を受けました。かつて全国の国立大学にあった「土木工学科」という看板は改編によって次々と姿を消し、構造力学や土質力学といった基礎研究の枠組みや実験・演習の時間は削られ続けています。
短期的な論文成果やIT・AIといった「目立つ分野」に予算が偏重された結果、数十年単位の維持管理や構造物の安全性を検証する地味で本質的な研究への予算は激減。博士課程に進む若手研究者のポストも奪われ、日本のインフラと国土を守る技術の継承そのものが途絶えようとしてい流というのが現実です。
有事や災害時に、破壊されたインフラを即座に復旧するのは、自衛隊だけでなく地域の建設・土木業者や、それを理論と技術で支える大学の研究者たちです。無駄な利権工事を排することは当然ですが、現場の施工力や大学での構造工学・都市基盤技術への投資まで一緒に削ぎ落としてしまった政治の近視眼こそ、国家安全保障上の重大なリスクと言わざるを得ません。
災害普及時の「日本すげー」は、もしかしたらこのまま行くとなくなるのかもなと。
3.技術・知性基盤(基礎研究と基礎教育)
自前で高度なシステムを構築し、サイバー攻撃から国を守り、対外戦略を立てるための根底にあるのは「基礎科学・数学」、そして何より概念を整理・表現する「言語力」と「人文科学の知恵」です。しかし現在、この国の知性基盤は、上から下まで壊滅的な誤指導に晒されています。
まず教育現場で「国語や算数を削ってAIの時間を増やす」という発想は、愚の骨頂と言わざるを得ません。例えば教育先進国のフィンランドでは、AI時代の到来に対しツール教育ではなく「読解力」「批判的思考(情報を見極める力)」「正確な国語力」の徹底に舵を切っています。AIを使いこなし、高度なプロンプトを構築し、その回答の真偽を見抜くために最も必要なのは、概念を明確に打ち出す「論理的な言語力」と「構造を理解する数学的思考力」だからです。変化の激しいツールの使い方を学校で教えるために基礎学力を削るなど、AIの本質を理解していない証拠です。
さらに深刻なのは、思考の深さを支える「人文社会科学」の軽視です。2015年に文部科学省が出した「文系学部の見直し・廃止」を促す通知以降、歴史学、哲学、言語学といった人文学は「すぐに役に立たない」として国立大学での縮小・予算削減が相次ぎました。しかし、他国の歴史的背景や民族感情を分析し、高度な地政学的戦略を練る知性の源泉こそが人文科学です。これを切り捨てた国が、まともな外交・安全保障戦略を立てられるはずがありません。
そればかりか、国家の「知の記憶装置」である図書館や博物館といった公共インフラに対しても、信じがたい「収益至上主義」が持ち込まれています。財務省の財政審議会や行政事業レビュー、さらには各地の行革派の政治家や自治体首長らによって、「売上や採算が立たないなら縮小・民営化・廃止せよ」「自己収入比率を上げろ」といった暴論が平然と浴びせられているのです。指定管理者制度の乱用により、イベントで集客できる「目先の稼ぎ」ばかりが評価され、博物館や資料館の本来の役割である「地味で膨大な資料の収集・保管・修復・研究」という知的財産を守るコア業務が「金にならない無駄」として削ぎ落とされています。
その結果、学芸員や司書といった高度な専門職は非正規化・雇い止めに追い込まれ、貴重な歴史資料や文化財の購入・保全すら危うくなっています。文化や歴史を「金稼ぎの道具」としてしか見ず、自ら「知の足腰」を壊していく姿は、国家としての知性の自殺行為と言うほかありません。
国家の真の強さとは、派手なITツールや兵器の数ではなく、国民一人ひとりの「思考力の深さ」と、世代を超えて積み上げられた「知の蓄積」です。「防衛省」の看板で大学にアレルギーを生むだけの縦割り助成金を排し、国庫から俯瞰して基礎科学、人文科学、そして公共の知的インフラに長期的投資を行うことこそが、安全保障の真の土台となるはずです。
世界が実践する「総合防衛(Total Defence)」のリアル
「防衛とは軍事予算を増やすことだ」という狭い視野に囚われている日本とは対照的に、世界には「国全体の総合力」で自国を守り抜いている先進的な国々が存在します。この辺の国は、おそらく国家の置かれている立場もあると思うのですが、官僚がかなり優秀でかつ「思考停止」していないのかなとか。当然ですが、政治も機能しているのだろうと推察します。
■ スイス:憲法で農業と教育を「国防」と位置づける
永世中立国であるスイスの防衛思想は、「軍事」だけでなく「経済・食料・技術」を統合した「総合防衛(Gesamtverteidigung)」です。
・憲法での明確な位置づけ:スイス連邦憲法第104条では、農業の多角的な貢献(食料の安定的供給、自然資源の保全、地域社会の維持)を定めており、環境に配慮した農業生産に対して国が補填する「直接支払制度(供給保障支払)」を導入しています。さらに2017年の国民投票では94%という圧倒的多数の賛成により憲法第104条a(食料安全保障)が新設されました。ここには「農地の保全」「資源配慮型の生産」「国際貿易の持続可能性」が国策として明確に義務付けられています。
・民間企業への備蓄義務付け:「国家経済供給法(BWL/NESA)」に基づき、主要な穀物(小麦など)、砂糖、調理油脂、米、さらには「肥料」などの生産資材にいたるまで、輸入業者や加工業者に対して常時3〜6ヶ月分の国家指定備蓄を法的に義務付けています。第二次世界大戦中に実行された自給達成のための全面耕作計画(ワーレン計画)の教訓が、現代の法律にも脈々と息づいています。
・現場技術者への手厚い国庫投入:チューリッヒ工科大学(ETH)などを筆頭とする高等教育・研究機関への基礎研究費は世界トップクラスであり、職業教育(VETシステム)を通じて農業・土木・機械といった現場を支える実務技術者に極めて高い社会的地位と予算が与えられています。
【日本との対比:日本に足りないもの】日本は食料安全保障を理念(基本法)に掲げながらも、実態としては減反政策や価格暴落時の不十分な支援により離農と耕作放棄地の拡大を招いてきました。さらに「土木」や「農業」といったインフラ・生産の足腰を「古い産業」「コスト」と見なし、大学の学科削減や運営費交付金のカットを推し進めてきました。「有事や災害時に自国民を物理的に生かし続ける基盤(土木・農業)こそが防衛の前提である」という憲法レベルでの国家観が、日本には根底から欠落しています。もう一個いいなーと思うのは、第二次世界大戦の教訓を正しく理解し、今に生かしていることですよね。
■ フィンランド:社会全体で守る「包括的安全保障」
ロシアと約1,340kmの国境線を接するフィンランドでは、有事の社会機能を止めないための「包括的安全保障(Comprehensive Security)」が機能しています。
・国家非常事態庁(NESA)による物資備蓄:首相府直轄の「国家非常事態庁(NESA / Huoltovarmuuskeskus)」が主導し、緊急供給保障法に基づき、穀物(約1年分)、石油燃料、医薬品、医療資材、さらには発電用燃料などを民間企業と協定を結んで常時備蓄しています。
・3歳からのメディアリテラシー教育:ヨーロッパの「メディアリテラシー指数」で常に世界1位を誇る同国では、1990年代からメディアリテラシーがナショナル・カリキュラム(国家学習指導要領)に組み込まれています。2016年の教育改革以降はさらに高度化し、就学前教育(3歳児)からメディアの読み解きを始め、小学校(ヘシンキのタパニラ小学校など)では「ニュース記事の信頼性チェック」や「AIが生成した偽画像・動画の見分け方」を具体的に教え込んでいます。
・ハイブリッド戦に対する防壁としての「国語力」:フィンランド政府は、SNSを用いた世論誘導やプロパガンダ(ハイブリッド戦)に対する最前線の防御壁を「国民一人ひとりの論理的読解力と批判的思考(クリティカル・シンキング)」と定義しています。他国の情報操作を見抜くための徹底した「言語教育(母国語・読解)」が、防衛戦略の核として位置づけられています。
【日本との対比:日本に足りないもの】日本の文部科学省は、基礎学力である「国語」や「算数」の時間を削り、表面的な「プログラミング教育」や「AIツールの活用授業」を増やすという、道具至上主義に迷走しています。しかし、AIや情報ツールを操作し、その生成結果の嘘を見抜き、高度なプロンプトを構築するために最も必要なのは「概念を整理する言語力(国語)」と「論理的思考(数学)」です。ツールの使い方という「表層」に惑わされ、思考の足腰である「深層」を自ら削ぎ落としている日本の教育行政は、フィンランドの防衛戦略と真反対を行く「知的武装解除」と言わざるを得ないかと。いや、ほんと残念すぎて「誰か、教えてやれよ」っておもいます。
■ シンガポール:資源ゼロからの「トータル・ディフェンス」
国土が淡路島ほどの広さしかなく、自然資源がゼロのシンガポールは、1984年に提唱された「トータル・ディフェンス(Total Defence:総合防衛)」という国家理念のもとで国を設計しています。その柱は「軍事・民防・経済・社会・デジタル・心理」の6つから構成されています。
・水資源の100%自給への執念:かつて隣国マレーシアからの水輸入に命運を握られていた脆弱性を克服するため、高度な下水再生処理技術「NEWater(ニューウォーター)」と海水淡水化プラントへの集中投資を実施。現在では国内水需要の過半を自前で賄える体制を構築し、水源という外交上のアキレス腱を完全に克服しました。
・食料自給目標のアップデート(2035年目標):従来掲げていた「30 by 30(2030年までに食料の30%を自給)」戦略をさらに実質化させ、最新の目標では「2035年までに国内消費する食物繊維の20%、タンパク質の30%を国内供給する」というカテゴリー別の具体的ターゲット(国家食料庁:SFA)を設定しています。限られた土地を克服するため、高層ビルの屋上や屋内に垂直農場を建設し、培養肉や代替タンパク質といった未来の食品技術開発を「国家防衛プロジェクト」として官民一体で推進しています。
【日本との対比:日本に足りないもの】シンガポールに比べて広大な国土、肥沃な農地、そして豊かな水資源に恵まれているはずの日本が、食料自給率38%(カロリーベース)のまま放置し、化学肥料や種子、飼料の大半を海外依存にさらしています。シンガポールが「資源がないからこそ技術と国家戦略で自給を作る」と執念を燃やしているのに対し、日本は「豊かな環境を持ちながら、目先の市場原理と縦割り行政によって自らの供給能力(農家・現場技術)を潰してきた」という、救いがたい怠慢と近視眼が際立ちます。
冷静に見て、ほんとクソみたいな感じなんですよね。日本の食糧政策。
日本が今取り戻すべき「真の国家観」
スイス、フィンランド、シンガポールに共通しているのは、「防衛(Security)とは、国民が生きていくためのエコシステム全体(食料・インフラ・教育・研究)を守り育てることだ」という揺るぎない国家観です。
ひるがえって、現在の日本はどうでしょうか。
自国の基礎研究や大学への投資を渋り、土木や農業の現場を疲弊させ、教育の足腰である国語や算数を軽視する。その一方で、納品時期すら保証されない外国製兵器に何兆円もの前払い金を払い続け、安全保障の根幹に関わるデータ統合や情報インフラまで外資系企業のシステムに依存しようとしている。
これは防衛力の強化ではなく、国家の自立性(主権)を自ら切り崩していく行為に他なりません。
戦後80年を超え真の独立国家として我々が求めるべきは、アメリカの言われるがままに予算規模だけを誇るような(というか、アメリカに朝貢するような)表面的な防衛ではないです。
- 国民が食べていける食料基盤(農業・漁業への投資)
- 国土と物流を守るインフラ基盤(土木・林業の維持と省人化技術)
- 自前で考え、守れる技術・知性基盤(基礎研究への長期投資と、国語・数学を重視する基礎教育)
これらを「総合安全保障」として国庫からバランスよく、かつ長期的に投資していくこと。
ツールや目先の数字に振り回されるのをやめ、国を生かすための「足腰」を太くする——それこそが、今この国の政治と行政に最も求められている「真の国家観」ではないでしょうか。
