【Diary】今日の一枚「曼珠沙華@巾着田」 250922

毎回思うのですが、この花の美しさは別格で。曼珠沙華の群生を見た昔の人が、ここに極楽浄土を想像したと言うのは本当にわからんでもないなぁと思います。高麗の巾着田は、関東にいるのであれば秋の時期は足を運ぶ価値のある場所です。

今日は、飛び石で連休的なので、ちょっと会社休んで埼玉の高麗に行ってました。
巾着田の曼珠沙華を見に。
下井草に住んでいる時は、毎年のように行っていたのですが、井の頭線沿いからはなかなか遠いなーと。
と言うことで、昨日はのんびり電車旅。
ルートは、「方南町(丸の内線)→新宿三丁目(副都心線→西武線直通)→高麗」と言うルート。
西武線での乗り換えもありますが、これだと激混みの山手線の回避が可能。
これ知ってたら、もっと早く行ってたかもなーとか思いつつ。

とはいえ、今回は「平日であったこと」と「まだ、現地は一分咲きであったこと」が重なってストレスなく現地に向かうことができました。
のんびりだったので、色々発見もあったなぁと。
ちなみに、開花がそんな状況だったからか今回は無料で見れました。
多分、今週末あたりからが見ごろになるのではないかと推察します。

ひだか巾着田公式サイト

「高麗(こま)」のおこりを初めて今回知りました。

混雑もなかったので、高麗の歴史についても、初めて駅で読みました。
あの教科書で習った「白村江の戦い」の後668年に高句麗が滅亡。
そこから逃れてきた人たちが開墾し発展させた地区なんですね。
716年(霊亀2年)(今から1300年前)に、関東各地(当時の7カ国)に住んでいた「高麗人」1,799人が武蔵国に集められ、「高麗郡」ができたそうで。
この話は、続日本紀にも記載されているそうで。
と言うことで、国書データベースにアクセスしたところ見つけました!!
データベース上の「続日本紀」の156ページ(画像は権利の関係で転載できませんのでLINKから見てください)。

辛卯、以駿河甲斐相模上總下總常陸下野七國高麗人、千七百九十九人、遷于武藏國置、高麗郡

いやいや、ほんと歴史書大事。
デジタルに生きている人ですが、この辺のアナログ古文書とか見てると「ちゃんと物理で確保しておくの大事」と改めて感じます。

辛卯: 霊亀2年5月(716年)」、この時の天皇は第四十四代元正天皇。
天武天皇の孫、元明天皇の娘で、皇太子首皇子(聖武天皇)の幼少期に、元明天皇から譲位を受けて即位しています。
女性の天皇です。ちなみに母親は元明天皇。そう、母も天皇なんですよね。
父は、大海人皇子(天武天皇)の第二皇子、草壁皇子。
715年に即位、724年に聖武天皇に譲位するまで約10年勤めています。
この間の出来事としては、「養老律令」の制定だったり、「三世一身法」の制定だったり、極めて重要な時期。
諱は氷高(日高)。高麗のあるのは、現在の日高市。
なにかしら、繋がりがあるのかなぁなんてロマンを感じたりします。
墓所は、奈良県にある奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ)。
今度、奈良に伺った時は足を運んでみようかなと思います。

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