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【Diary】2月に入って落ち着いたろうと川崎大師へ

毎年、恒例の川崎大師詣ですが今年は思い切って2月にしてみました。それも、こんな2月の半ば。いや、過去の日記にも出ていますが毎年凄い人出でカオス化してて、買いたい住吉屋総本店の久寿餅も買いそびれるくらい。焦っていかなくても、ゆっくりすればいいやんということで今回は遅らせてみたという次第です。

そんなこんなで、計画時はのんびりと構えていた一家ですが、よう実というか前日に「雪」というまぁまぁハードルの高い自然現象が発生することに気付きまして。でも、のんびり一家なので「まぁいっか」くらいで予定は変更せず。そして、最近は平日飲み会続きで死亡遊戯状態の私が11時ごろ起床するという体たらく。でも、そこから頑張って部屋の片付けして準備してとバタバタしてなんとか12時半過ぎに出発。

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【party】旅の終わりに:伊勢→志摩→nadar

もうね、お伊勢さんに行ったときはバケツひっくり返したような雨ですた。

と言うわけで、今年の野外の〆『nadar Party BOHEMIAN@田曽白浜(三重県南伊勢町田曽浦)』に行って参りました!
今回、折角なので金曜はお休みをとって木曜の夜から宿浦に向かうスケジュール。
そう、折角行くんだったらお伊勢さんに行きたいしね。
例の件があったので、赤福が食べれないだろうなとも思いつつ仄かな期待を抱いて伊勢へ。
もちろん、閉店…….。
まぁ、残念ながらアレだけ列挙されちまうとなかなかね。
ただ、一個一個は実のところ大した話ではなくマスコミが必要以上に騒ぎ立てるので民衆が不安に陥り販売停止みたいな流れになっているような気がせんでもない。
ぶっちゃけ、表示基準に見あってない物は表示を見直せば良い話だしね。
再利用の件も、別に食中毒になるような事ではないので僕は別に良いと思うですよ、ええ。
腐った餡とか、腐った餅を使ってたわけではないし。
マスコミの連中も、殆ど現地取材とかしないで相当いい加減な記事書きまくってるのが滅茶苦茶気になる。
こいつらを取り締まる法律ないんですかね?

写真は波切の風景。なんだか、志摩や南伊勢の界隈は地中海チックなのです!

腹の立つ話はさておき、金曜は兎に角大雨!
まさに、バケツをひっくり返したような状態で刈谷を過ぎた辺りから余り前が見えなくなってきたほど。
ちなみに、木曜の夜に出たんですが東名の集中工事のため都内を全然出れず。
富士川に着いたときには、既に夜中の二時だったのでここで就寝。
今回、WINGROADを借りてたんでフラットになってとても良い感じでした!
(次回は、これに毛布も乗せればモアベター)
9時ごろ起きて、準備して一路伊勢へと言うルーチン。
そういえば、刈谷はハイウェイオアシスになってて観覧車とかもあったりショッピングも充実してたり。
今時のSAは凄いね。
伊勢湾岸道路は順調で、伊勢ICに14時ごろ到着。
今回は、外宮と内宮のみの参拝。
途中、麻吉旅館を覗こうと思ったけど車止めにくいのと雨で断念。
また、次回。
家に帰って、ご飯を食べたら一休み。
流石に疲れてたので、日が回る前に倒れる感じで次の朝。というか、昼。
ダラダラした後、志摩町のお祭経由で波切の大王崎灯台へ。
その風情は、何となく九份【ちょうふぇん】を思わせる風情。
亜細亜には、やはり似たような独特の空気があるのかなとひとしきり。
良いばしょでっせー、大王崎!
安乗埼灯台もよかったけど、こっちは断崖絶壁なので夕暮れがかなり美しい。
ちなみに、『境界』って書いた金属板があったんだけどこれは『熊野灘と遠州灘の境界』を差しているらしい。

夕暮れ時の田曽白浜は、なんだか夢のような空気を漂わせる空間。ここ、とっても好き!

そんなこんなしているうちに、夕方になったので田曽白浜へ。
準備、進んでました。当たり前だけど。って言うか、音が出てるし。
今回は、木造のドームまで出来てました!凄い。
スピーカーは、CirwinVegaじゃない!!!なになに?地元の人なの?
うはー、凄いねぇ。
ウキウキしながら、散策して、居る人達に挨拶しながら撮影撮影。
が、今回ちょっと喘息が出てて体調悪いので大事を取って一度家に帰る事に。
ご飯を食べて一休みして、21時ごろ再度会場へ。
ちょっとトラブルを解消して、早速再度現地を散策。
相変わらず、ストリングスの凸が綺麗ね!プレイは、ウッシーのダーク目なドコドコプレイ。
そして、それを一緒に聞くすみさんと母。ちょっと、シュールな光景。
一回りしたところで、すみさんと母は帰宅。
僕は、So-shu・takeちゃん・番長達と合流。
ヨレヨレ遊んでいると、feroomaやMONDOさんが続々とやってくる。
いやいや、楽しいねー!
が、やはり夜は喘息があれなので1時前に帰宅。

あっちゃんの作る凸は、本当に懐かしくてきれい!

夜中、やっぱり発作の為何度も目覚める。
7時前におきて、落ち着いたところで会場へ。
ついたら、feroomaがかっちょ良い音でプレイ中。
で、フロアを見るとSHIVA-NORIが!!!!!
いやー、目を疑いましたw。
浜松から、急遽駆けつけたみたい。いやはや。
So-shu達とちょいとお休みしたところで、ブースへ。
いかつい音で繋ぐのかと思いきや、いきなりのGOAでアタフタw。
ええ、Raで繋がせていただきました。
こっからは、いつものやりたい放題。
そして一番盛り上がったのは、Nirvana。
一体、俺はどんなジャンルのDJなのかと(苦笑)。
好き放題の後は、marちゃんの朝のユッタリ気持ちの良いビーチなDJing。
Toru君たちとひとしきり話した後に、後ろ髪を引かれながら12時ごろ会場を後にする事に。
むーん、今年の野外も終わりかぁ。
と言う事で、また8時間かけて東京に戻りましたとさ。
途中、車が炎上してたらしく40kmの渋滞でしたがドンマイ!
すみさん、お疲れ様ー。
みなさん、ホントにありがとね。
今回のnadarも、とても楽しませていただきました。
皆とゆっくり話したかったけど、喘息にやられたせいでちょっと残念。
でも、また次があるさ!
ということで、三重の皆は年末にでもー♪
あっちゃん、nadarチームの皆さんオーガナイズお疲れ様&ありがとう!

【歴史雑記】さて、伊勢路とか

来週には、伊勢方面なので。
たまたま、mixiの某板で絡まれまして。
別段あれだったのですが、ちょっと調べてみたいなぁと思い。
『伊勢路』ネタ。
そもそも、徒歩で熊野道を制覇する気はないんですがその片鱗は感じたいなぁなんてね。
そう言う訳で、調べとくにこした事は無いでしょう。
さて、起点を『田丸』としている理由あたり。
そもそも、田丸は現在玉城町(昭和30年、「所謂昭和の大合併」の時期に合併)と言うらしいですね。
駅名は残ってるけど。

伊勢といえば、赤福かなぁということで赤福本店。

で、なんで田丸だったんだろうという話なんだけどここは南北朝時代に北畠親房が南朝側の指導者として度会家行の援護を受けてた時代に城を造った場所。
結果はご存知の通り、南朝敗北で北畠親房は賀名生で死去。
城は廃城となると思いきや、伊勢神宮を押さえる要として北畠家が再建。
戦国時代には信長の伊勢侵攻に伴い、織田家の居城の一つになるが時代が時代だけに巡り巡り最終的には紀州徳川家の所領となりその附家老の一人久野氏の居城となり明治時代まで。
という訳で、1300年代中盤から明治期までまぁ常に時代時代にそこそこ権力のある人たちに庇護されていたという理由もあり栄えていたようです。
そのため、宿場としても整理されていたので拠点になったようですね。

神宮の大木は、荘厳さと畏敬を感じさせられます。やはり、神域は静謐でいいなと。

熊野詣に向かう人々も、一生に一度の旅なんで折角なので伊勢によりついでに西国33箇所という道行きをとる人が少なくなかったようです。
当然ですが、このルートは東国(江戸方面ね)の旅人が通るルートです。
梁塵秘抄でも歌われている位のルートなのですが、実際に頻繁に使われるようになったのは江戸時代。
やはり、伊勢界隈が紀州徳川家の預かりとなり初代藩主の徳川頼宣が一里塚や宿場を整備して行ったのが隆盛になった最大の要因なんでしょうね。
いわゆる『伊勢講』が盛んになるのは1700年頃。
その頃が、伊勢路が最も隆盛を極めたあたりになるよう(あ、もちろん「えじゃないか」までね)。
参宮にあたっては精進潔斎が基本となるので、古市は帰り道の道程の御楽しみになる訳だったりですがその後熊野にもうでる人はまだまだ精進潔斎が続くため起点を田丸としたというのが真相かなぁ。

お参りの前は、必ずお清めですね。最近は、この手水鉢もハイテク化していきていますが。

そもそも、伊勢神宮界隈は神領なので宿等があるわけではないので田丸が宿となり「起点は田丸」といわれるようになったと言う事かな。
確かに、旅の疲れを田丸で癒しお伊勢さんに詣でて熊野を目指すと言うルートを取るとき拠点は田丸となるので言い方としては起点となるのかな?
「気分的」には皇大神宮を起点としてるんだけど、「実質的」には田丸が起点となる。
僕の解釈としては、そんな感じです。
古い文献を調べてもその考え方はまちまちで、田丸は皇大神宮を起点としたときの伊勢路で一番目の宿場町であって実際の『伊勢路』は「皇大神宮」から「熊野三山」までとなっているため(これは、紀州徳川家がこの地区を治めてからの考え方らしいけど)「田丸-皇大神宮間」は『伊勢街道』と『伊勢路』がクロスオーバーしていると考えていたものもちらほらある模様。
まぁ、今一番ポピュラーな考え方が「田丸を伊勢路の起点とする」と言う考え方なんでしょうね。
しかし、この界隈は調べてみると面白いですね。
何しろ、神宮と言う特別な場所があるが故に様々な思いが歴史とともに交錯していて。
今回調べてみて思ったんだけど、地名となっている度会家が今どんな感じなのかも興味津々。

【Diary】川崎大師に行ってきました

前に使っていた写真を差し替え。この方が、何となく空気感伝わるかなぁって。今振り返ると、まだ改装前で鄙びた感満載。

えっと、先週末は川崎大師に行ってました。
その日記書いてなかったので、今更ねw

【今回のルート】
川崎大師→門前町→若宮神社→寮を通過→LAZONA

本当は前日に行こうと思ったんだけど、あいにくの大雨だったので断念して日曜日に。
結果として今年は13-14日だったみたいなんだけど、どんど焼きに間に合わせるためにお札を持って川崎大師に初詣。ここ、厄よけで有名だし。
前日の大雨が嘘みたいに、凄く天気がいい。ビックリするくらい。天気がいいと言う事は、結構混んでるのかなぁなんて思いながら京急川崎に向かうと……。
案の定、大師線えらいことになってる。
トイレ行きたかったのもあり、一本過ごしたら幸い座れるレベルだった。タイミングだったのかなぁ?
と、ちょいとばかし安心しながら大師へ。
駅は、思ったより混んでない感じ(そりゃ通常時に比べれば尋常でない程居るけど)。
川崎が大きく変化する中で、この駅はそんなに変わらんなぁと言うのが一年ぶりに訪れた印象。
6年くらい住んだけど、結婚してからは初詣で降りるくらいだから年度ごとの印象になっちゃう。
ともあれ、大師の表参道へ。見た目としてはボチボチ。結構人は居るかなぁ位の印象…….のはずが。だんだんと迫ってくる人垣。
曲がり角を曲がる前に、もの凄い人の列にあたりました。そりゃ、天気良いもんなぁw。

一度でもお正月界隈に遊びにいった方はご存知かと思いますが、ここまだ入り口にすら入っていない状態。ここからが本番です(笑)写真暗かったから加工したら変に昭和な空気に。

逡巡してたんだけど、すみさんが「あっち、人が歩いて行ってる」と。元々住民だったんで、色々思い出した。そう、車の祈祷所のルートがあるんだったよ。
で、裏手に回ったらあった。一部のルートは警備員で封鎖されてるんだけど二つも一人で出来る訳でもなくダダ漏れ。
大体、みんな地元民なんだろうねぇ。自分もそうだけど。
結局、この手の裏ルートは知ってないと並んだ分を棒に振りそうでおいそれと手を出せないのが正直な所

毎年のことながら、本当に凄まじい人の入りです。さすが関東で5本指に入る、初詣先。

僕も、確実だと言う自信は無かったけど多分行けるだろうなぁって位の予測はあった。
まともに並んだら2時間くらいのルートを10分でショートカット。逆にそのくらいでないと、帰ってた気もするので良しと言う事で勝手に納得。
でも、中入ったら入ったでこれがまた順番ズッコになってて。当たり前だけど。毎年の風物詩だねぇ、これは。
「ゆっくり すすんで くださーい」って延ばしてるプラカードが微笑ましい。何となく、心が優しくなる感じがする。
本当は初詣って今年一年の祈願に来てるのに、あの混雑だとちょいと殺伐とするからね(ショートカットしたお前が言うなと……)。
そんなこんなで、本堂をお参り。
ここはお寺さんだけど、やはり古い場所には空気と趣があって好き。中に入ってみたいけど、まぁこんな日取りでは絶対に無理。
と言う訳で、厄よけと不動明王のお札を頂き屋台へGO!
これも、縁日の醍醐味だから絶対にはずせません。
今回食べたのは、じゃがバターと飯蛸のたこ焼き(実は、此の飯蛸のたこ焼きを10年にわたって各所で同じおじさんからテキ屋のおじさんから買っては食べ続けているのです:2019年2月10日追記)。
じゃがバターって、美味しいよね。何ともシンプルなものなんだけど、家では作れん。あの蒸し器、凄いもんなぁ。
ほいで、飯蛸のたこ焼き。これ、まるまる一匹入ってるのね。剛毅だ。で、当然かもだけど美味しい。美味しいと、嬉しい。
良いなぁ、やっぱり。

本文中では触れていませんが、あの有名な金山神社です。まぁ、ほら、あれですよ。

帰り道では、飴を馬鹿みたいに4袋も買ってみたりくずもちを二箱買ってみたり。
一体、どれだけ食べるんだよ俺らw。
久寿餅は食べ比べてみると、やっぱり住吉屋総本店のが美味しいですな。
餅に適度の弾力とほんのりとした甘みがある。これが大事。
これ、吉野葛で作ってるのかなぁ?と思ったら熟成させた小麦澱粉なのね。
あー、ラゾーナの話も書きたいけど恐ろしく長くなって来たなぁ。大師の話。
ラゾーナの事は、また別の機会に書きます。
一言言えるのは、「意外に楽しい!ここ」と言う話。
カリフォルニアピッツァのお店に行ったんだけど、思いのほかイケテた。
イタリアのピッツァとは、また違った感じ。ジャンキーな味なんだけど、ヘルシーw。
ワカンネーナー(自爆)!

【ShortTrip】横浜中華街にて:京華樓と會芳亭

昨日は、横浜トリエンナーレへ。
という事で、もちろんその日のお昼は中華街ですな。
昨日は、3連休の中日という事もあり結構中央の通りは混んでいる模様。
しかしながら、そう言う日だと言うのに裏手に入れば結構快適に歩ける状態。
お昼時だというのに。
それも、やはり霧雨がぱらつく曇天のなせる技なのか?
やっぱり、あれだよね。
天気悪いと、なかなか外出する気にならないのは皆同じ。
同日、ジャズフェス的な事もやっていたのに巧い事集客出来なかったのでは?と考えてみたり。
そうはいっても、やはり大通りにほど近いお店は混雑しているので裏手を散策。
前に一度見てて行ってみたいなと思っていた、京華樓【きょうかろう】にしてみました。

もちろん、四川だけに目的は麻婆豆腐です。

通常四川の麻婆豆腐というと、食べた後もう何を口に入れてもわからん的なものが多い中、こちらのものは一味違って滋味深いです。

さて、メニューなんですが僕たちは2000円のランチコースを。
その時は、それが一番スタンダードだと思ってたんですが700円のランチが多数存在していた模様。
結構良い感じのお店なのに、リーズナブルである事に改めてビックリしてみたり。
兎に角、2000円とは思えないくらいにきちんとしてました。
中華街、ピンキリだから2000円でも「ぇ?なにこれ」ってこともしばしば。
美味しさも良し、バランスも良しで、凄く満足な感じのお店です。
その麻婆豆腐なんですが、所謂四川と言えば『花山椒』をふんだんに使っているというイメージ。
ここのお店の麻婆は、この『花山椒』が隠し味程度に抑えられていてその代わりにそこはかとなく香る茴香の香り。
これが、僕にとってはたまらん感じでした。
ま、グルマンな人達に言わせれば『麻』と『辣』が効いてないと駄目だという人が多いですが、まぁこの辺は好きずきという事で。
もちろん、辛みは結構ありますよ。ここも。
適度なんですね、その辛さが。

ここはどれをとっても美味しかったのですが、特に麻婆以外だとスープがいけてました。
そう言う意味では、刀削麺【とうしょうめん】も今度食べてみたいところです。
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■四川料理 京華樓
〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町138番地
(関帝廟通りと香港路がクロスするポイント)
TEL:045-211-2866
FAX:045-211-2877
E-Mail:info@kyokarou.com
http://www.kyokarou.com/
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通常は東屋。今の媽祖廟近くにある公園です。実際よく出来た展示でした。

さて、この後ちょっと寄り道した先は中華街に忽然と現れた横浜トリエンナーレの作品にして宿泊施設。
『ヴィラ會芳亭』です。
これ、入った時には全く気付かなかったんですが公園の一部をあたかもそれ専用かの様に宿泊施設の一部にしてしまったとんでもなくユニークな作品なんです。
そのうえ、ここ二宿泊出来るってんだから2重に凄い!!
(残念ながら、既に宿泊予約は埋まってます。)
中華街のど真ん中で、2000円って言うんだから美術に興味が無くても面白かったのかもね。
むー、泊まりたかった。
作家は、西野達郎氏。
ドイツ在住で、公共物を取り囲み私的空間を造り上げるというコンセプチュアルアーティスト。
兎に角、発送が大胆で凄すぎる!
ドイツ在住で、常にドイツで動いている模様。だから知らなかったのか。

■『ホテル ヴィラ 會芳亭』
横浜市中区山下町公園
http://www.kaihoutei.com/

【Travel Japan】昭和にみた郷愁『川越旅日記』中編

さてさて、先日の日記の続きです。
着きましたは、西武新宿線終点の『本川越駅』。
勝手なイメージで、「凄いレトロな駅だったらどうしよう!門司港とかさ。」なんてワクワクしながら見ると。
「あり?何だか、恐ろしく普通に都会ではないですか……。」
これが、第一印象。
これは勝手な妄想なんですけど、もう駅前からいきなりファンタスティック大正ロマンみたいのを想像してました。
すみません……。そんな感じから始まりつつ、「えらい、女子高生も多いなぁ?」とか思いつつ。
地図をちろっとチェックして、『時の鐘』方面に歩を進めてみました。

街のそこここに、歴史を感じさせる建造物が立ち並んでいます。なので、歩いているだけでワクワク。ここまで街の空気が出来上がっている場所って川越くらいじゃないかなぁって思います。

駅前は、何しろ普通に栄えてます。
僕の住んでる、下井草なんて「ショボーン」な感じだけど。
西武線って、いまいち都会感が無いんですけど僕的にはそう言う居易い下町加減が気に入っていたり。
駅の出口が、PePeですからね。
まぁ、西武だから当たり前かw。
そんな無駄話はさておき、駅前の地図を確認して左に曲がってGO!
今回、そもそも思いつきだけに到着が15時と出遅れた為今回は『喜多院』と『川越城』は断念。
てくてく道なりに歩いていったんですが、ちょっと入ったところから既に風情がある感じなんですね。ここ。
言い方難しいんだけど、「廃れていない昭和の香り」そのもの。
結構、古くさい感じの町って場末感満載じゃない。
でもね、あんまりそう言う香りがしないの。
どうしようもなくださいモノというか古くさいものを売っている古くさいお店があるんだけど、
町の空気のお陰でそのお店も何だか良い感じにおしゃれに感じてくる。
というのも、京都の清水界隈とかみたいにばっちり観光モードという訳ではないのがまた良いのかな。
適度に観光地化されているんだけど、町自体がきちんと人が行き来する場として機能してるというか。

販売されているのものも、今風ではなくどこか懐かしいもの。昭和を知る僕らには、心が温まる風景がそこにはあります。

何となく、そう言うところが居易さを作ってくれてる様に感じました。
結構ね、色々興味深いお店もあるんですよ。
端切れのお店とか、風鈴のお店とか、骨董のお店とか、帽子専門店とか。
生活と観光が混在してるの。それはもう、カオス。
そんな中、歩を進めて行くとまず出会うのが『蓮馨寺』。
こちら、呑龍上人って言う偉い坊さんを祀ってる寺院でそもそもは学僧を多く輩出した“十八檀林(浄土宗の寺の学問所の事:ちなみに、その筆頭が鎌倉の光明寺)”の一つだとか。
その辺から想像しても、昔から栄えてた様に感じます。
むしろ今の方がちょっと落ち着いたのかな?
なんせ、川越城主にはあの歴史で習った『柳沢吉保』とかも居たみたいで……。
話はズレズレですが、まぁこのお寺広く間口が解放されていて憩いの場としても良い感じ。
そもそも、人が集う『場』としてのお寺はこうあるべきだよね。
手水鉢の屋根に彫り込んである唐獅子の細工が非常に繊細で印象的でした。
4体とも、表情豊かで見る価値ありますよ

柱の一角を守る獅子。

で、ここを過ぎてひとしきり歩くとあの有名の蔵造りの街並みに到達する訳です。
ここで、また勘違い。
てっきり、蔵の町だと思ってたんですよ。僕。
これは間違いで、家自体がまるで蔵の様に堅牢に作られてるんですね。
これは、1893年の川越大火を教訓にこの作りに移行していったんだとか。
そう言うの知ると、なかなか感慨深いですね。
その蔵造りの町並みも良いんですが僕的に特筆すべきだと思ったのはファサードに凝った看板建築群。
これ、戦後に流行った形式なんですが未だにこれだけきちんと残ってる町も珍しいですね。
都内では、かなりの勢いで壊されて行ってますから。
中央区界隈も僕が就職した頃にはまだ沢山あったのですが、10年後の今はかなり取り壊されてしまってます。
下の写真の喫茶店なんて、なかなか入れないこの建築に入れるという意味でも希有。
一人ではなかったら、絶対入ってたのに。
次回のお楽しみという事で、後ろ髪を引かれつつ通過いたしました。

う、今日もこんな時間なのでまた続きは後日。
えらい長引いてんな、この日記w。

※2019/02/04追記:何故か後編はありません。飽きたのかw

【Travel Japan】昭和にみた郷愁『川越旅日記』前編

川越の蔵造り店舗の代表格の一つと言える、200年以上の歴史を持つ和菓子舗「亀屋」さん。

昨日は、川越を旅してきました。
まぁ、旅というほど大それたものではないかもしれませんがあてどの無いものは僕の中では多かれ少なかれ旅だという認識で暮らしてます。
その方が、何だか楽しいので。
何しろ、川越への旅は10年来の思いだったりするんですよね。実際。
そんなら早く行けって話ではあるのですが、なにぶん神奈川県民にはあまりに遠かったんです。
上京して以来、「相模原」「橋本」「川崎大師」「溝の口」って言うくらいで全く持って埼玉や千葉に縁のない生活だったもので。

何しろ、初めて川越に興味を持ったのは大学時代。
当時、同じクラスだった「ビスコ」の作品がそのきっかけになったんです

川越といえば、この「時の鐘」。時代が止まっているかのような錯覚を受けるのです。この存在によって。

当然ですが「ビスコ」というのはあだ名で、本名ではありません。
由来は聞いたところなのでまぁ定かではないのですが、常にあのグリコのビスコを食べてたからだとか。
言われてみれば、良く教室でも食べてたもんですわ。
さて、大学時代なんですが僕はグループ展を主催してましてこの時にビスコも一緒にやってたんです。
その話は、僕のマイミクの「溝口水産」氏やその他の方々も知っている通り。
懐かしい話だったりします。
場所は、池袋の「ZO」というギャラリーでオーナーさんは不動産業を営んでいるんだけど本当はカメラマンをやりたいという方でした。
実際、この方の写真は凄く印象的で何だか勿体ないなぁという気も。
後藤さん、元気かなぁ……。
そんなノスタルジアもあったりでの小話ですが、このグループ展ではラーメンズの小林賢太郎とかも一緒にやってたんですよねw。
まぁ、そんな中でこの「ビスコ」の撮った映像作品が川越の「時の鐘」周辺を題材にした紙芝居調の映像だったんです。

川越といえば、もう一つがこの駄菓子屋横丁。タイムスリップしたかのような、昭和初期のような街並みの中、所狭しと駄菓子屋さんが並んでいます。土地柄、サツマイモのお菓子が多いのです。

この作品を見て、「ほえー!何か凄そうなところだ」という事で行ってみたいとは思いつつも距離感が図れず。
遂には、今に至ってしまったという次第なんです。
我が事ながら、これには今更ながら驚きです。
そんな川越に、今回は思いつきという強力な力を得て電車に乗ってプラッと向かってみた訳です。
というのも、現在の居所が西武新宿線沿線というのがでかい!
これが、一番大きな原動力。
というのも、路線図を見ると常に「川越」の二文字が。
そして、事あるごとに目にする川越を宣伝するポスターやパンフレット。
これで、行くなって言う方が無理ですよ。実際。
そんな旅だった訳ですが、電車の中ではひたすら「森音包響」の日記を書き続ける私。
「それも、どうなの?」って位に、電車の旅を全く楽しまず。
でもね、集中出来るんですよ。何故か電車の中ってのは。不思議に。
隣の高校生カップルがなんぼいちゃついても全然気にせず、ひたすらキーボード売ってましたからね。
そうこうするうちに、1時間近くが経ち外はすっかり田園風景。
これが、狭山なのね。お茶の産地。
川越は、もうすぐだ。とか言いながら、前ふりだけでこの長さってどうなの……..。
続きは、また明日。

【Party】旅の終わりに:『森音包響:しんおんほうきょう』part2

彼らの拠点は石川県。
過去、北陸でのパーティーと言えば『神楽』が思い出される。
それも、もう5年の昔になろうか。
今、一体彼らが何をどこでやっているのかは知らない。
でも、かれらの執り行う祭がとても濃く興味深いものであったことは噂に聞き及んでいた。
現在は、『HIKARI』が一番有名なのだろうか?
とはいえ、このパーティー自体もHPの存在すら見た事が無いので凸隊である事以上の事は正直分からない。

前日朝まで渋谷でパーティーやって、その足で富山に向かうという今考えるとむちゃくちゃな行程のため、写真があまりない。

そう言う場所柄なだけに、大きな凸屋が存在しないのも事実。
という事で、僕らにはDJとしての参加と凸屋としての参加が今回望まれる事となった。
が、大変な事に今回もっちは『ゆらぎ』に参加する事が決定していたのである。
これには、正直「あ、やばいかも?」って言うクラクラするようなザワメキ感を覚えた。
しかし、自虐的というかそう言う場面の方が好きな性でもっちと話し合った上で今回は初の分散デコを試みる見る事となる。
今まで、『雪月華』のデコと言えばもっちと言う位にもっちに依存していたのだが実のところ考えていればそもそもの雪月華と言えば作り手的発想を持った制作集団。
結局、自分達が実は自走式戦車になりうる事をこの機会に確認する事が出来た。
そう、別に全てに於いてもっちのプランニングを待たなければならない訳ではあないという事なのだ。
これは、雪月華のメンバーにとっては実に大きな収穫であった。
『場』を如何に作るのか、そう言う事を自分達の頭で考えるという事のなんとスリリングで楽しい事か。
こういう大事な事を放棄してた事を、今更ながら残念に思ってみたり。

オーガナイズは、SOMA。ケンちゃんと、SO-SYUの二人がやってた、富山のパーティー。SO-SYU、元気かなぁ?

そうこうしているうちに、夕暮れを迎え本格的に祭の時間が深まり始める。
が、足らないものが目白押し……。
ここのところ、何だかすべてが用意されている予感に包まれて大事な道具を忘れる事が多かった気がする。
今回の、その骨頂と言うか…….。
「電気が無い」→「電工リールも必要数量無い」。
これは、さすがに痛い。
そんななか、電柱に電源がある事を発見。その後、下の駐車場界隈のトイレに15Aの電源が二口ある事も発見。
この場所から、エントランスまで大体60m強。
手持ちの電工リールは、2つ。
買いに行くしかありませんな、やる為には。
という事で、近隣のDIYまでぶっ飛ばすぶっ飛ばす。
8時閉店だと思っていたが、7時半。
ぎりぎりセーフで、店内へ。入ったとたんに、「蛍の光」。
急ぎ脚で、電工リールとブラックライトの管を探す。その他諸々、買い物をして占めて2万5千円。
「あうー、また大出費です。」
今月もまた、余裕の無い生活決定。ま、しょうがないね。
これは、僕らの凸資材として手元に残るので良しとしましょう。
戻って、バタバタしつつ暗くなってみるとやはり崩れかけの階段がどう考えても危ない事に気付く。
という訳で、フロアを尻目にまずは階段の照明を。これがさ、なかなか難しい。
というのも、上から照らすとまぶしくて見えにくい。かつ、全体を照らすような照明急勾配であるため難しくて出来ない。
で考えたのが、草むらにハロゲンをあててレフにしてエントランス手前の危ない部分については赤色の本来手元照明用のライトとピカピカランプ。
何気に、これだけでも全然行けそうだね。もう少し、きちんとした作りが欲しいけどこの際まぁ良しという事で。あるもので作るので、この辺でも十分でしょ。心に余裕があれば、もっと出来たなぁ。
それは、また次ね

やはり、何処での仕事を受けるにもきちんと道具リストが必要ですね。
それをきちんと作り上げて、きちんとそのギャランティーを頂く。
これが、凸屋としてはスマートなお仕事ですね。
で、フロアに上り最後の点灯へ。キモトとミヤが、寝ないで作ったストッキング凸に灯が入る。
「何何、これー!」
遊びに来てた人達が一気に集まる。
うんうん、これがデコや冥利に尽きる時間帯です。
モッチが考案したデコだけど、今回はもっち無しで造り上げましたからね。
やれば出来るもんですなぁ。
しかしながら、あのストレッチ布の竹のような凸は本当にフレキシブルに使えていいね。
照明として、凸として見事に生きました。
これに続けて、新しいアイデアをどんどん積み重ねないとね。
時は、ドンドン流れて行く訳ですから。
今回は、エントランスも請け負う雪月華だったりもする訳ですが何だかせわしなく時間が過ぎたなぁ。
でも、こういう時間の流れは充実していて好き!
お膳立てされた場に、ゲストとして入り込むのはどうも自分の性に合わないのかもです。
忙しすぎるのも、何だけどねぇw。
何はともあれ、殆ど開けるまでテントに入る事も無くエントランスとフロアの往復。

会場って、終わってみると本当にただの森だったりするわけで。そういうギャップが面白かったり、終わった後で寂しかったり。

ジェネレータートラブルなど、色々あったりもしたのですがそう言う事でめげない人々が集まって作られたパーティーだけに大きな問題も起こる事無く恙無く終了。
それぞれの音を携えてこの地に集まった同胞たちが、また自らの居所に帰還する時間。
なんつてますが、結局一番遠いのは僕らという事で一番に宮島峡を離れる事に。
何だか名残惜しいけど、よねとの遊びの時間と車を帰す時間が…….。
Toru君FeroomaちゃんAcha君、USHIMARU君、SO-SYU君、ケンちゃん、マーちゃん達よりもちょいと早く現地を離れました。
みんな、ありがとね。
結局、あのあとよねの家でマッタリし過ぎて家に着いたら思いっきり日付が変わっていたばかりかミヤに至っては夜明け近くに帰り着くという始末。
何にせよ、計画的に動かないと駄目ですね。僕ら。
しかし、個々人のプレイに色んなカラーがあって面白かったね。今回も。
また、皆とゆっくり遊びたいところ。

ちなみに、これが前日渋谷のON/OFFでやってたセッションの記録。ここでは、szkさんたちと360度プロジェクションを楽しんでいました。しかし、本当にあのころは何も考えない機動力があったなぁと。

【伝統と言葉】犬矢来[いぬやらい]

2006年1月、京都の東本願寺界隈での写真。当時は、よく京都に遊びに行っていました。まぁ、DJやっていたというのもあるし、何より子供いなくて気軽な暮らしだったのもありますねw。

犬矢来【いぬやらい】
円弧状の反りのついた割竹や細い桟木を並べた柵のこと。
大概の場合、家の外側には石や砂利で作られた「犬走り」がありその上にかけられたもの。
そもそも、「犬走り」というくらいで「犬走り」の上では犬の粗相が多々あり悩まされることが多かった模様。その対策としてできたのが、「犬矢来」の始まりだったとか。

でも、それ以外にも京都なんかでは祇園は繁華街というのもありたっしょん避けと言う意味合いもあったということを他のブログで読んで納得するとともに笑っちゃいました。
泥棒避けの意味合いもあったみたいです。あら、人避けやん!
花街では、雨宿りをさせないという目的もあった模様。何せ、料亭と言えば密談!「越後屋、お主も悪よのう。」とか話てるの、丸聞こえだったら皆使わないもんねw。
横道にそれましたが、泥はねや雨滴から建物外壁の損傷を防ぐためにも活用できるということで、京都祇園の町屋などの外側に配置され今でも日本的情緒を感じること多々あります。
似たような感じの「駒寄せ(別名:駒繋ぎ、牛繋ぎ)」との大きな違いはこちらの多くが可動式であるということ。
そういう訳で、掃除もしやすい!
「駒寄せ」が何故固定式かというと、その名の通り馬や牛を繋いでおくために発展してきたものだから。
そういう歴史を知ると、また何だか感慨深いものがありますねぇ。

こちらが駒寄せ。此の写真も、東本願寺界隈です。駒寄は、いろんなデザインがあっておもろいです。なんとなく、テリトリーを緩やかに表す道具としても機能していたのではないかなぁと思います。

ちなみに「矢来」とは細い竹や丸太を菱形に組んだもので、別名「刑場垣」。
時代劇で磔【はりつけ】にされてるシーンとかで、竹を組んで人避けしてるシーンとか出てくるでしょ。
あれが、そもそも。
「矢来=ヤライ」はそもそも音から来ていて「遣ひ【やらい】」の音が大本で、「入るを防ぐ」という言葉を意味している。
戦国時代に仮城を組む時とかにも、使われていたみたいです。

【Party】『西扉』公共の交通機関を利用する方へ

公共の交通機関でいらっしゃる、つわものの皆様へ!
一応、一助として情報をお流しします。
これで、いくらか楽かなぁ?
京都バス

バスの本数は極端に少ないけど、これが良いです。
坊村まで来れば、後5km。
梅ノ木までいけるバスに乗れば、2.5km。
出発は、出町柳から。
ちなみに、大原までだったら京都駅からもバス出てます。
この方が、間違いなく堅田からタクシーより若干近いかな?
そんな感じです。
ちなみに、出町柳出発時間は
○7:45 出町柳発→8:51 下梅の木
○8:45 出町柳発→9:45 坊村(ここ止まりです)
○14:55 出町柳発→16:02 下梅の木
帰りのバスは
○9:47 下梅の木発→10:54 出町柳
○17:17 下梅の木発→18:24 出町柳
帰りは、大原までタクシーが一番確実と言えば確実ですね。
○MKタクシー TEL :
      075-721-4141
      0774-53-5489
ではでは、お気をつけて!
後、これもお勧め。
平日から京都にいらっしゃる方は、是非これを。

観音加持青龍会
清水の舞台で法螺貝を吹き、「転法秀」を先頭に、「会奉行」・
「夜叉神」・「四天王」・「青龍」・「十六善神」の神々が続く
という大群会行の行道で、創建千二百有余年の清水寺の魅力ある
催事の1つです。
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日 時:2005年9月15日(木)〜17日(土)午後2:00〜
場 所:清水寺…京都市東山区清水
入山料:大人300円・小中学生200円
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