【巻き戻し日記】龍:育児日記080723

080723_sunflower.jpgさて、二日目。
ちょっと慣れてきて、龍をオロオロせずに抱けるようになってきたのですが。
げっぷをさせるのが、何とも上手くいかない。
いや、上手い事やる人は肩に乗せてるんだけど見てるようには行かないんだよねー。これが。
思ったより、断然難しい。
僕らは、自分たちの正面に座らせてトントンさせてみる事に。
しかし、ここでも首が据わらないためグラングラン。
怖いの何のって…….。
本人は、至って気にしてないみたいでゲップさせて最中に寝てしまうという体たらく。
そうなると、こちらも降参。
ゆっくり横にならせて、寝かせてみる訳ですわ。
二日目は、10ml増えて30ml。
朝はちょいと残したけど、昼からは完食。
なかなかの、飲みっぷり。
そういえば、朝の沐浴時はおなかが晒されたり背中が晒されたりするのがやみたいでむずかってました。
泣くまでは行かないけど。
龍だけに「あんた、背中がすすけてるぜ」と言わせないためなのか?
(分かるひと限定)
手際よくやってるけど、僕らもあんなに上手くやれるのかなぁ?
ちょいと心配。
そうそう、この日はお昼過ぎの時間を利用してちょいと神社散策。
近所の「河原神社」と「御園神社」を回ってきました。
前者は、神宮の管社。
後者は、土地神様でした。
この界隈は、田園地帯なんで遠くから見ても神域が確認できるんですよね。
大体神域には楠の巨木があるので、見分け易い。
そして、なんだか凛とした空気を感じるんですわ。
遠くからでも。
あれ、不思議だけどやっぱり『場』としての存在感というのかな?
そういうものがあるんだろうね。
河崎神社は、『場』としては大きくないんだけどその空気が凝縮されてるの。
なので、一歩踏み入れると「あ、ここはそうだ」と感じる事が出来る。
なんというか、土地神様の場と違い閉じられた結界が或るのよ。
テレビでやってる似非スピリチュアルの世界とは違い、「地」と「気」によって創られたそうあるべくしてそうある『場』。
行かなきゃ、そりゃわからんです。
神宮のビリビリした力強い緊張感とはまた違った、深閑とした力。
町の中に居るんだけど、町の中に居ないような。それ。
あれは、本当に凄いなあと思うのです。
080723_ryuh.jpgほんで、「御園神社」は土地神様のお社なので開かれた「気」を感じる優しい『場』。
なんと言うか、人が集うために開かれた独特の空気感。
住まう人を守るために放つ気を滾々と生み出してるのだなと納得させられる。
おじいちゃんが、ゆっくりここで夕涼みをしているのにも妙に納得。
(でも、ここ薮蚊が多いよ……。大丈夫?)
ただ、今の日本はその空気を受け入れるにはあまりに澱んでいて気づく時間がちょっと少なくなってきてると思うの。
今回、時間を作ってみて思ったんだけど東京はその澱みが臨界点に近づいてきている事をひしひしと感じる。
なんと言うか、人が人である事を最早拒む『場』になりつつあるのではないか。
そんな感じがしました。
だからこそ、その澱みを押し流すために僕らは『祀り』を開くんだけどね。
そのくらいでは、足らないくらいの澱みに抗うには「考える」という時間をもっと創りそれに臨むしかないのだなと。
明治の時代に大きな結界を張った東京ですが、「汐留」「六本木」「東京駅」「秋葉原」などに建てられた地龍の気を阻むモノリスによりその流れが分断されてきている訳で。
考えてみれば、「秋葉原」なんつーのは将門の結界である神田明神のお膝元でそこにあのダイビルというディベロッパーが建てたモノリスにより「気」が阻害されてああいう澱みになりつつあるのかもしれません。
絵図面、引き直すのって誰がやるんだろうね?
むー。
そういう『場』から来た僕としては、この伊勢の凛とした「気」の流れに心を洗われてたりします。
なんだか、幸せ。
忘れていたかけらを、ちょとづつ取り戻しています。
龍も、こういう『場』で生まれる事が出来て良かったなと心から思う次第です。

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