【都市と文化】asian chaos:新宿歌舞伎町の街歩き 051023

今見ると、ほんと下手だなぁ構図の取り方って写真。何でこういう見切れた写真なのかと(苦笑)

僕は、昔から歌舞伎町という街が好き。
人の生き死にが表裏一体で混在してるあの感じ。
亜細亜の繁華街に共通するあの臭いがするのは、東京だとここが一番濃いのかなぁって感じで。
最早遠い昔となりつつある第二次世界大戦中の東京大空襲にて一面焼け野原となった『角筈【つのはず】』『三光町【さんこうちょう】』界隈を、歌舞伎演舞場等等の演芸施設を集め娯楽の一大センターにする夢を託して名付けられた町名。
しかして、予算の都合で結局歌舞伎は誘致出来はしなかったが『コマ劇場』がその代わりを務め『家族向け』とは言えないけれども数多くの人の思いを飲み込みそして新しい息吹を良い意味でも悪い意味でも送り込む歓楽都市として再生された事は誰の目にも疑いは無い。
最近、蛇頭の台頭などで「外国人が暴れてて怖い」的に扱われている歌舞伎町なのだが実際の所この町をここまでに育て上げたのが実のところ戦後当時から日本で活躍していた台湾華僑であるという事をご存知であろうか?

「ヒューマックスグループ」の創業者『林以文氏』、「東京大飯店」の創業者『李合珠氏』、「風林会館」の創業者『林再旺氏』、数え上げるときりがない。
現在、ヤングジャンプで『夜王』と言う漫画が連載されているがこの漫画に出てくる華僑のボスの存在も強ちフィクションとも言い切れない程彼らの影響が強い町なのである。
そして、今の歌舞伎町が発展したのも彼らの存在がそれを文字通り血と汗と涙で造り上げたお陰なのだ。

もうかなり減っちゃいましたが、2005年当時はまだ「バイオハザードですか?」的ないかつい雰囲気の建物も多くありました。

そうそう、ここで一個明確にしておくべきなのだがここで言う所の歌舞伎町を創った華僑とは台湾の華僑である。
最近入って来ているのは、大陸出身の「新華僑」。
従って、似て非なるものである事を一応断っておきたい(もちろん例外もあると思うけど)。
台湾では実際日本語教育がよくも悪くも行われていた過去があり、その関係で日本に在留した台湾人が多かった事がその理由だ。
実際の所、僕らが普段暮らしていても言われてみないと分からない話なんだけどね。
さて、そんな歌舞伎町を本日プラプラ流していた訳ですが。
今日は、歌舞伎町の裏手とゴールデン街&花園神社界隈を重点的に歩いてました。
しかし、ここら辺は本当に良いですね。猥雑としてて。
六本木や新橋界隈、そして恵比寿、渋谷と良い形に発展し独自の文化を育んで来た町が『森稔』に代表される金太郎飴ディベロッパーによってその町の顔を個性無きものにされて行く中頑張ってるなぁってのが感想。
田園調布に住んでて西新宿で働いてるエロ小説家が歌舞伎町の文化を破壊しようとしてるけど、側近が更迭されたお陰で最近やっと大人しくなったよね。
ぽん引きの居ない歌舞伎町は寂しいけれど、この界隈に来ると『内藤新宿』として栄華を築いて来たこの地の底力を今でも感じる事が出来ます。
このまま、突っ走り続けてくれる事を心よりお祈り申し上げます。
そうそう、忘れない様に。
新宿の守護である『花園神社』にて執り行われる『大酉の市』の日程出ました。

今も昔も、花園神社には独特の空気感があります。酉の市のイメージが強いですが、赤テントなど、芸術との距離も近いし何より場所柄夜の街の守護神的な立ち位置がまたいいんですよね。

■新宿大酉の市@花園神社(歌舞伎町)
○一の酉
11月8日(火):酉の市前夜祭
11月9日(水):酉の日 酉の市本祭
○二の酉
11月20日(日):酉の市前夜祭
11月21日(月)酉の日 酉の市本祭
二の酉の前夜祭は日曜なので行けそう、と言うかこの日ってあのパーティーの日か??
早く帰って来て、行くそうにしたいなぁ。
駄目そうなら月曜日に行ってみよう!

最後の一枚は、歌舞伎町の名店の一つ「轍(わだち)」。食べログ見たら掲載保留になってたけど、もう閉じちゃったのかなぁ?美味しいし、雰囲気もいいお店だったんだけどねー。こういう歴史あるお店がひっそりあるところも、歌舞伎町の魅力。

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