【都市と文化】ご近所探訪:天沼八幡 051122

僕が住んでいるのは、下井草。が、住所は杉並区ではなくて中野区。とはいえ、中野区のかなり突端に当たる部分である為(住んでるマンションから道路渡ると杉並区)近所は全て杉並区と言ったノリ。で、勢い自転車で回る地域は圧倒的に杉並区が多くなってくる。中野区を含め、この界隈と言うのは結構古い神社や仏閣が多く散歩するに飽きない感じがする。今日は、早稲田通り沿いの『日の出食堂』でラーメンを食べた後に荻窪方面へプラプラと。
兎に角、午前中異様に体調が悪く結局会社を休んだんだけど午後は概ね良好な感じだったので。おなか壊してラーメン食べる自分はアホだと思うけど、ここは美味しかったので別途レビュー書きます。
さてさて、本日ご紹介の神社はこちら。

天沼八幡神社

ここの神社、由来等々実ははっきりしないらしく創建は天正年間(天正遣欧使節がヨーロッパに行った頃:1500年代後期)である事は分かっているが何処から勘定したのかを示す証拠等々がはっきりしなかったりするみたい。
境内には、『大鳥神社』『日枝神社』『金山彦神社』『稲荷社』などがある。


そもそも、江戸期においては天沼は日枝神社の社領だったらしくその関係で現在境内に末社がある様子。
大鳥神社があると言う事で、昨日は『酉の市』も行われていたみたいです。(小さなお社なんですが)
そうそう、『酉の市』と言えばうちの近所にも大鳥神社のお社があってこちらでも熊手を売ってたみたいです。
うーん、見に行きたかったなぁ。
残念ながら、新宿の花園神社と違ってご近所は22時が関の山ですからね。絶対に間に合わないw。
例大祭は、8月の末。神輿が出たり、縁日が出たり、神楽殿で神楽が催されたりとなかなか賑やかそうです。来年は、顔出したいなぁ。
所謂式内神社の様に歴史と伝統に育まれてとかではないかもしれないけど400年だって実際凄い年月。
こういう伝統を、町の文化としてきちんと残して行けるようでありたいなと思う今日この頃。

■天沼八幡神社
東京都杉並区天沼2-18-5
電話03-3398-2514
FAX03-3398-2555
HP:http://www.todoland.co.jp/amanuma/hatiman.html

【追記】
かれこれ、もう20年くらい前の日記。もうこの時期には下井草に移っていたのだなぁと改めて。今もそうですが、チャリンコが大好きなのでいろんなところを回っていたなと。当時通っていたお店は、もうほとんどないんですよね。
この日記に出てくる日の出食堂も、結構一部では有名で。というのも、当時人気だったTBSの「ガチンコ」と言う番組の「ラーメン道」と言うコーナーの一期生の人が始めたお店だったんです。そんなことは関係なく、僕は普通に美味しいので通っていたのですが。向かいにある「下井草・大慶」は未だ健在なんですが、こちらは閉じてしまった模様。
思い出したのでいきたいなーと思っていたのですが、残念。
下井草は、本格的な豚骨ラーメンが食べられる「御天」があったりで実はラーメン好きには嬉しい街だったりしました。

ちなみに、文中で天沼が日吉神社の社領であった話に文中で触れていますが、これは「新編武蔵風土記稿の巻之一百二十三目録多磨之郡三十五」に記載されている情報によるものです。スマホからだと見にくいと思いますので、書き出しておくと「天沼村は郡の東北にあり 郷庄の唱を傅へす江戸麹町山王の神領なり 民家七十七軒 東西九町許南北七町餘 青梅街道村の南を東の方えつらぬく」と記載されています。
「郡」というのは、「多磨郡」のこと。「江戸麹町山王」というのは、現日吉神社のこと。
ご自分でも読んでみたいという方は、ぜひこちらのリンクから!!

新編武蔵風土記稿(国立公文書館 デジタルアーカイブ)

新編武蔵風土記稿」は、文化文政期(所謂化政文化の時期:1804〜1829年)に昌平坂学問所で編纂された地誌。この時期、杉並は「多磨(多摩)」なんですよね。実際、田んぼと畑ばっかりだった場所ですので。ちなみに、「野方領」なんですよね。不思議に感じるのですが、結構この「野方領」は広かったみたいです。
うちの近所にも、まだ「もともと農家だったんだろうなー」という地主さんの家が結構あったりしますので、「郡」というのも納得する部分も。今は、ほとんどの方がマンション建てたりして地主さんになっていますが、練馬とか世田谷に行くとまだ農家やってる方がいたりします。

しかしまー、ほんと国立公文書館はすごいですね。色々公開してくれていて。
(2024.01.03 Noise)

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