「JAPAN」タグアーカイブ

【伝統行事】大宮八幡宮で、流鏑馬見て来ました!

いやー、やっぱ本物は凄いや!!
週末は、龍さんと一緒に流鏑馬神事を大宮八幡で見てきました。
大宮八幡宮御鎮座九百五十年流鏑馬神事。
由緒正しき、小笠原流です。
http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/
子供には、本物を見せるべきだなと、改めて思った週末でした。

【party】旅の終わりに:伊勢→志摩→nadar

もうね、お伊勢さんに行ったときはバケツひっくり返したような雨ですた。

と言うわけで、今年の野外の〆『nadar Party BOHEMIAN@田曽白浜(三重県南伊勢町田曽浦)』に行って参りました!
今回、折角なので金曜はお休みをとって木曜の夜から宿浦に向かうスケジュール。
そう、折角行くんだったらお伊勢さんに行きたいしね。
例の件があったので、赤福が食べれないだろうなとも思いつつ仄かな期待を抱いて伊勢へ。
もちろん、閉店…….。
まぁ、残念ながらアレだけ列挙されちまうとなかなかね。
ただ、一個一個は実のところ大した話ではなくマスコミが必要以上に騒ぎ立てるので民衆が不安に陥り販売停止みたいな流れになっているような気がせんでもない。
ぶっちゃけ、表示基準に見あってない物は表示を見直せば良い話だしね。
再利用の件も、別に食中毒になるような事ではないので僕は別に良いと思うですよ、ええ。
腐った餡とか、腐った餅を使ってたわけではないし。
マスコミの連中も、殆ど現地取材とかしないで相当いい加減な記事書きまくってるのが滅茶苦茶気になる。
こいつらを取り締まる法律ないんですかね?

写真は波切の風景。なんだか、志摩や南伊勢の界隈は地中海チックなのです!

腹の立つ話はさておき、金曜は兎に角大雨!
まさに、バケツをひっくり返したような状態で刈谷を過ぎた辺りから余り前が見えなくなってきたほど。
ちなみに、木曜の夜に出たんですが東名の集中工事のため都内を全然出れず。
富士川に着いたときには、既に夜中の二時だったのでここで就寝。
今回、WINGROADを借りてたんでフラットになってとても良い感じでした!
(次回は、これに毛布も乗せればモアベター)
9時ごろ起きて、準備して一路伊勢へと言うルーチン。
そういえば、刈谷はハイウェイオアシスになってて観覧車とかもあったりショッピングも充実してたり。
今時のSAは凄いね。
伊勢湾岸道路は順調で、伊勢ICに14時ごろ到着。
今回は、外宮と内宮のみの参拝。
途中、麻吉旅館を覗こうと思ったけど車止めにくいのと雨で断念。
また、次回。
家に帰って、ご飯を食べたら一休み。
流石に疲れてたので、日が回る前に倒れる感じで次の朝。というか、昼。
ダラダラした後、志摩町のお祭経由で波切の大王崎灯台へ。
その風情は、何となく九份【ちょうふぇん】を思わせる風情。
亜細亜には、やはり似たような独特の空気があるのかなとひとしきり。
良いばしょでっせー、大王崎!
安乗埼灯台もよかったけど、こっちは断崖絶壁なので夕暮れがかなり美しい。
ちなみに、『境界』って書いた金属板があったんだけどこれは『熊野灘と遠州灘の境界』を差しているらしい。

夕暮れ時の田曽白浜は、なんだか夢のような空気を漂わせる空間。ここ、とっても好き!

そんなこんなしているうちに、夕方になったので田曽白浜へ。
準備、進んでました。当たり前だけど。って言うか、音が出てるし。
今回は、木造のドームまで出来てました!凄い。
スピーカーは、CirwinVegaじゃない!!!なになに?地元の人なの?
うはー、凄いねぇ。
ウキウキしながら、散策して、居る人達に挨拶しながら撮影撮影。
が、今回ちょっと喘息が出てて体調悪いので大事を取って一度家に帰る事に。
ご飯を食べて一休みして、21時ごろ再度会場へ。
ちょっとトラブルを解消して、早速再度現地を散策。
相変わらず、ストリングスの凸が綺麗ね!プレイは、ウッシーのダーク目なドコドコプレイ。
そして、それを一緒に聞くすみさんと母。ちょっと、シュールな光景。
一回りしたところで、すみさんと母は帰宅。
僕は、So-shu・takeちゃん・番長達と合流。
ヨレヨレ遊んでいると、feroomaやMONDOさんが続々とやってくる。
いやいや、楽しいねー!
が、やはり夜は喘息があれなので1時前に帰宅。

あっちゃんの作る凸は、本当に懐かしくてきれい!

夜中、やっぱり発作の為何度も目覚める。
7時前におきて、落ち着いたところで会場へ。
ついたら、feroomaがかっちょ良い音でプレイ中。
で、フロアを見るとSHIVA-NORIが!!!!!
いやー、目を疑いましたw。
浜松から、急遽駆けつけたみたい。いやはや。
So-shu達とちょいとお休みしたところで、ブースへ。
いかつい音で繋ぐのかと思いきや、いきなりのGOAでアタフタw。
ええ、Raで繋がせていただきました。
こっからは、いつものやりたい放題。
そして一番盛り上がったのは、Nirvana。
一体、俺はどんなジャンルのDJなのかと(苦笑)。
好き放題の後は、marちゃんの朝のユッタリ気持ちの良いビーチなDJing。
Toru君たちとひとしきり話した後に、後ろ髪を引かれながら12時ごろ会場を後にする事に。
むーん、今年の野外も終わりかぁ。
と言う事で、また8時間かけて東京に戻りましたとさ。
途中、車が炎上してたらしく40kmの渋滞でしたがドンマイ!
すみさん、お疲れ様ー。
みなさん、ホントにありがとね。
今回のnadarも、とても楽しませていただきました。
皆とゆっくり話したかったけど、喘息にやられたせいでちょっと残念。
でも、また次があるさ!
ということで、三重の皆は年末にでもー♪
あっちゃん、nadarチームの皆さんオーガナイズお疲れ様&ありがとう!

【歴史雑記】さて、伊勢路とか

来週には、伊勢方面なので。
たまたま、mixiの某板で絡まれまして。
別段あれだったのですが、ちょっと調べてみたいなぁと思い。
『伊勢路』ネタ。
そもそも、徒歩で熊野道を制覇する気はないんですがその片鱗は感じたいなぁなんてね。
そう言う訳で、調べとくにこした事は無いでしょう。
さて、起点を『田丸』としている理由あたり。
そもそも、田丸は現在玉城町(昭和30年、「所謂昭和の大合併」の時期に合併)と言うらしいですね。
駅名は残ってるけど。

伊勢といえば、赤福かなぁということで赤福本店。

で、なんで田丸だったんだろうという話なんだけどここは南北朝時代に北畠親房が南朝側の指導者として度会家行の援護を受けてた時代に城を造った場所。
結果はご存知の通り、南朝敗北で北畠親房は賀名生で死去。
城は廃城となると思いきや、伊勢神宮を押さえる要として北畠家が再建。
戦国時代には信長の伊勢侵攻に伴い、織田家の居城の一つになるが時代が時代だけに巡り巡り最終的には紀州徳川家の所領となりその附家老の一人久野氏の居城となり明治時代まで。
という訳で、1300年代中盤から明治期までまぁ常に時代時代にそこそこ権力のある人たちに庇護されていたという理由もあり栄えていたようです。
そのため、宿場としても整理されていたので拠点になったようですね。

神宮の大木は、荘厳さと畏敬を感じさせられます。やはり、神域は静謐でいいなと。

熊野詣に向かう人々も、一生に一度の旅なんで折角なので伊勢によりついでに西国33箇所という道行きをとる人が少なくなかったようです。
当然ですが、このルートは東国(江戸方面ね)の旅人が通るルートです。
梁塵秘抄でも歌われている位のルートなのですが、実際に頻繁に使われるようになったのは江戸時代。
やはり、伊勢界隈が紀州徳川家の預かりとなり初代藩主の徳川頼宣が一里塚や宿場を整備して行ったのが隆盛になった最大の要因なんでしょうね。
いわゆる『伊勢講』が盛んになるのは1700年頃。
その頃が、伊勢路が最も隆盛を極めたあたりになるよう(あ、もちろん「えじゃないか」までね)。
参宮にあたっては精進潔斎が基本となるので、古市は帰り道の道程の御楽しみになる訳だったりですがその後熊野にもうでる人はまだまだ精進潔斎が続くため起点を田丸としたというのが真相かなぁ。

お参りの前は、必ずお清めですね。最近は、この手水鉢もハイテク化していきていますが。

そもそも、伊勢神宮界隈は神領なので宿等があるわけではないので田丸が宿となり「起点は田丸」といわれるようになったと言う事かな。
確かに、旅の疲れを田丸で癒しお伊勢さんに詣でて熊野を目指すと言うルートを取るとき拠点は田丸となるので言い方としては起点となるのかな?
「気分的」には皇大神宮を起点としてるんだけど、「実質的」には田丸が起点となる。
僕の解釈としては、そんな感じです。
古い文献を調べてもその考え方はまちまちで、田丸は皇大神宮を起点としたときの伊勢路で一番目の宿場町であって実際の『伊勢路』は「皇大神宮」から「熊野三山」までとなっているため(これは、紀州徳川家がこの地区を治めてからの考え方らしいけど)「田丸-皇大神宮間」は『伊勢街道』と『伊勢路』がクロスオーバーしていると考えていたものもちらほらある模様。
まぁ、今一番ポピュラーな考え方が「田丸を伊勢路の起点とする」と言う考え方なんでしょうね。
しかし、この界隈は調べてみると面白いですね。
何しろ、神宮と言う特別な場所があるが故に様々な思いが歴史とともに交錯していて。
今回調べてみて思ったんだけど、地名となっている度会家が今どんな感じなのかも興味津々。

【ShortTrip】横浜中華街にて:京華樓と會芳亭

昨日は、横浜トリエンナーレへ。
という事で、もちろんその日のお昼は中華街ですな。
昨日は、3連休の中日という事もあり結構中央の通りは混んでいる模様。
しかしながら、そう言う日だと言うのに裏手に入れば結構快適に歩ける状態。
お昼時だというのに。
それも、やはり霧雨がぱらつく曇天のなせる技なのか?
やっぱり、あれだよね。
天気悪いと、なかなか外出する気にならないのは皆同じ。
同日、ジャズフェス的な事もやっていたのに巧い事集客出来なかったのでは?と考えてみたり。
そうはいっても、やはり大通りにほど近いお店は混雑しているので裏手を散策。
前に一度見てて行ってみたいなと思っていた、京華樓【きょうかろう】にしてみました。

もちろん、四川だけに目的は麻婆豆腐です。

通常四川の麻婆豆腐というと、食べた後もう何を口に入れてもわからん的なものが多い中、こちらのものは一味違って滋味深いです。

さて、メニューなんですが僕たちは2000円のランチコースを。
その時は、それが一番スタンダードだと思ってたんですが700円のランチが多数存在していた模様。
結構良い感じのお店なのに、リーズナブルである事に改めてビックリしてみたり。
兎に角、2000円とは思えないくらいにきちんとしてました。
中華街、ピンキリだから2000円でも「ぇ?なにこれ」ってこともしばしば。
美味しさも良し、バランスも良しで、凄く満足な感じのお店です。
その麻婆豆腐なんですが、所謂四川と言えば『花山椒』をふんだんに使っているというイメージ。
ここのお店の麻婆は、この『花山椒』が隠し味程度に抑えられていてその代わりにそこはかとなく香る茴香の香り。
これが、僕にとってはたまらん感じでした。
ま、グルマンな人達に言わせれば『麻』と『辣』が効いてないと駄目だという人が多いですが、まぁこの辺は好きずきという事で。
もちろん、辛みは結構ありますよ。ここも。
適度なんですね、その辛さが。

ここはどれをとっても美味しかったのですが、特に麻婆以外だとスープがいけてました。
そう言う意味では、刀削麺【とうしょうめん】も今度食べてみたいところです。
============================================
■四川料理 京華樓
〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町138番地
(関帝廟通りと香港路がクロスするポイント)
TEL:045-211-2866
FAX:045-211-2877
E-Mail:info@kyokarou.com
http://www.kyokarou.com/
===========================================

通常は東屋。今の媽祖廟近くにある公園です。実際よく出来た展示でした。

さて、この後ちょっと寄り道した先は中華街に忽然と現れた横浜トリエンナーレの作品にして宿泊施設。
『ヴィラ會芳亭』です。
これ、入った時には全く気付かなかったんですが公園の一部をあたかもそれ専用かの様に宿泊施設の一部にしてしまったとんでもなくユニークな作品なんです。
そのうえ、ここ二宿泊出来るってんだから2重に凄い!!
(残念ながら、既に宿泊予約は埋まってます。)
中華街のど真ん中で、2000円って言うんだから美術に興味が無くても面白かったのかもね。
むー、泊まりたかった。
作家は、西野達郎氏。
ドイツ在住で、公共物を取り囲み私的空間を造り上げるというコンセプチュアルアーティスト。
兎に角、発送が大胆で凄すぎる!
ドイツ在住で、常にドイツで動いている模様。だから知らなかったのか。

■『ホテル ヴィラ 會芳亭』
横浜市中区山下町公園
http://www.kaihoutei.com/

【伝統と言葉】犬矢来[いぬやらい]

2006年1月、京都の東本願寺界隈での写真。当時は、よく京都に遊びに行っていました。まぁ、DJやっていたというのもあるし、何より子供いなくて気軽な暮らしだったのもありますねw。

犬矢来【いぬやらい】
円弧状の反りのついた割竹や細い桟木を並べた柵のこと。
大概の場合、家の外側には石や砂利で作られた「犬走り」がありその上にかけられたもの。
そもそも、「犬走り」というくらいで「犬走り」の上では犬の粗相が多々あり悩まされることが多かった模様。その対策としてできたのが、「犬矢来」の始まりだったとか。

でも、それ以外にも京都なんかでは祇園は繁華街というのもありたっしょん避けと言う意味合いもあったということを他のブログで読んで納得するとともに笑っちゃいました。
泥棒避けの意味合いもあったみたいです。あら、人避けやん!
花街では、雨宿りをさせないという目的もあった模様。何せ、料亭と言えば密談!「越後屋、お主も悪よのう。」とか話てるの、丸聞こえだったら皆使わないもんねw。
横道にそれましたが、泥はねや雨滴から建物外壁の損傷を防ぐためにも活用できるということで、京都祇園の町屋などの外側に配置され今でも日本的情緒を感じること多々あります。
似たような感じの「駒寄せ(別名:駒繋ぎ、牛繋ぎ)」との大きな違いはこちらの多くが可動式であるということ。
そういう訳で、掃除もしやすい!
「駒寄せ」が何故固定式かというと、その名の通り馬や牛を繋いでおくために発展してきたものだから。
そういう歴史を知ると、また何だか感慨深いものがありますねぇ。

こちらが駒寄せ。此の写真も、東本願寺界隈です。駒寄は、いろんなデザインがあっておもろいです。なんとなく、テリトリーを緩やかに表す道具としても機能していたのではないかなぁと思います。

ちなみに「矢来」とは細い竹や丸太を菱形に組んだもので、別名「刑場垣」。
時代劇で磔【はりつけ】にされてるシーンとかで、竹を組んで人避けしてるシーンとか出てくるでしょ。
あれが、そもそも。
「矢来=ヤライ」はそもそも音から来ていて「遣ひ【やらい】」の音が大本で、「入るを防ぐ」という言葉を意味している。
戦国時代に仮城を組む時とかにも、使われていたみたいです。