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【Diary】2月に入って落ち着いたろうと川崎大師へ

毎年、恒例の川崎大師詣ですが今年は思い切って2月にしてみました。それも、こんな2月の半ば。いや、過去の日記にも出ていますが毎年凄い人出でカオス化してて、買いたい住吉屋総本店の久寿餅も買いそびれるくらい。焦っていかなくても、ゆっくりすればいいやんということで今回は遅らせてみたという次第です。

そんなこんなで、計画時はのんびりと構えていた一家ですが、よう実というか前日に「雪」というまぁまぁハードルの高い自然現象が発生することに気付きまして。でも、のんびり一家なので「まぁいっか」くらいで予定は変更せず。そして、最近は平日飲み会続きで死亡遊戯状態の私が11時ごろ起床するという体たらく。でも、そこから頑張って部屋の片付けして準備してとバタバタしてなんとか12時半過ぎに出発。

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【日記】都市について考えた:京橋の夕暮れ

071218_kyobashi.jpg気がついたら、もう師走も半分すぎてるんですね。
早いもので。
年末は、バタバタしている上に年末進行なのでどうしても「アレ?」とか行ってる間に一日が終わってしまうなと思う今日この頃。
今週末の12月22日には、二十四節気の最後の節気『冬至』を迎えると言う。
いやー、早い早い。
と言う事で、夕暮れの美しい季節の中央区京橋の一コマ。
言われなければ、何だか欧米の風景かと見まごうばかり。
視点を変えてみると、自分の働いてる街の景色も捨てたもんじゃないなぁなんて思っちまいます。
最近は仕事の関係で日本橋に出張る事が多いんだけど、日本橋&京橋界隈ってまだまだ江戸から昭和にかけての情緒が色濃く残ってますよね。
そう言う空気が、とっても好きです。中央区は。
残念ながら、港区はそう言う「古き良きもの」を捨てて何だか金太郎飴の様に最初は華やかだけどよくよく考えたら余りにステロタイプでつまらない町づくりを続けてる様な。
そんな事を考えさせられる、夕暮れでした。

P.S.この冬至によく食べるのが、「南瓜」と「蒟蒻」。健康のためにも、この時期体を気遣って季節に見合った良いものを食べて無病息災を祈ってくださいな。

【party】旅の終わりに:伊勢→志摩→nadar

もうね、お伊勢さんに行ったときはバケツひっくり返したような雨ですた。

と言うわけで、今年の野外の〆『nadar Party BOHEMIAN@田曽白浜(三重県南伊勢町田曽浦)』に行って参りました!
今回、折角なので金曜はお休みをとって木曜の夜から宿浦に向かうスケジュール。
そう、折角行くんだったらお伊勢さんに行きたいしね。
例の件があったので、赤福が食べれないだろうなとも思いつつ仄かな期待を抱いて伊勢へ。
もちろん、閉店…….。
まぁ、残念ながらアレだけ列挙されちまうとなかなかね。
ただ、一個一個は実のところ大した話ではなくマスコミが必要以上に騒ぎ立てるので民衆が不安に陥り販売停止みたいな流れになっているような気がせんでもない。
ぶっちゃけ、表示基準に見あってない物は表示を見直せば良い話だしね。
再利用の件も、別に食中毒になるような事ではないので僕は別に良いと思うですよ、ええ。
腐った餡とか、腐った餅を使ってたわけではないし。
マスコミの連中も、殆ど現地取材とかしないで相当いい加減な記事書きまくってるのが滅茶苦茶気になる。
こいつらを取り締まる法律ないんですかね?

写真は波切の風景。なんだか、志摩や南伊勢の界隈は地中海チックなのです!

腹の立つ話はさておき、金曜は兎に角大雨!
まさに、バケツをひっくり返したような状態で刈谷を過ぎた辺りから余り前が見えなくなってきたほど。
ちなみに、木曜の夜に出たんですが東名の集中工事のため都内を全然出れず。
富士川に着いたときには、既に夜中の二時だったのでここで就寝。
今回、WINGROADを借りてたんでフラットになってとても良い感じでした!
(次回は、これに毛布も乗せればモアベター)
9時ごろ起きて、準備して一路伊勢へと言うルーチン。
そういえば、刈谷はハイウェイオアシスになってて観覧車とかもあったりショッピングも充実してたり。
今時のSAは凄いね。
伊勢湾岸道路は順調で、伊勢ICに14時ごろ到着。
今回は、外宮と内宮のみの参拝。
途中、麻吉旅館を覗こうと思ったけど車止めにくいのと雨で断念。
また、次回。
家に帰って、ご飯を食べたら一休み。
流石に疲れてたので、日が回る前に倒れる感じで次の朝。というか、昼。
ダラダラした後、志摩町のお祭経由で波切の大王崎灯台へ。
その風情は、何となく九份【ちょうふぇん】を思わせる風情。
亜細亜には、やはり似たような独特の空気があるのかなとひとしきり。
良いばしょでっせー、大王崎!
安乗埼灯台もよかったけど、こっちは断崖絶壁なので夕暮れがかなり美しい。
ちなみに、『境界』って書いた金属板があったんだけどこれは『熊野灘と遠州灘の境界』を差しているらしい。

夕暮れ時の田曽白浜は、なんだか夢のような空気を漂わせる空間。ここ、とっても好き!

そんなこんなしているうちに、夕方になったので田曽白浜へ。
準備、進んでました。当たり前だけど。って言うか、音が出てるし。
今回は、木造のドームまで出来てました!凄い。
スピーカーは、CirwinVegaじゃない!!!なになに?地元の人なの?
うはー、凄いねぇ。
ウキウキしながら、散策して、居る人達に挨拶しながら撮影撮影。
が、今回ちょっと喘息が出てて体調悪いので大事を取って一度家に帰る事に。
ご飯を食べて一休みして、21時ごろ再度会場へ。
ちょっとトラブルを解消して、早速再度現地を散策。
相変わらず、ストリングスの凸が綺麗ね!プレイは、ウッシーのダーク目なドコドコプレイ。
そして、それを一緒に聞くすみさんと母。ちょっと、シュールな光景。
一回りしたところで、すみさんと母は帰宅。
僕は、So-shu・takeちゃん・番長達と合流。
ヨレヨレ遊んでいると、feroomaやMONDOさんが続々とやってくる。
いやいや、楽しいねー!
が、やはり夜は喘息があれなので1時前に帰宅。

あっちゃんの作る凸は、本当に懐かしくてきれい!

夜中、やっぱり発作の為何度も目覚める。
7時前におきて、落ち着いたところで会場へ。
ついたら、feroomaがかっちょ良い音でプレイ中。
で、フロアを見るとSHIVA-NORIが!!!!!
いやー、目を疑いましたw。
浜松から、急遽駆けつけたみたい。いやはや。
So-shu達とちょいとお休みしたところで、ブースへ。
いかつい音で繋ぐのかと思いきや、いきなりのGOAでアタフタw。
ええ、Raで繋がせていただきました。
こっからは、いつものやりたい放題。
そして一番盛り上がったのは、Nirvana。
一体、俺はどんなジャンルのDJなのかと(苦笑)。
好き放題の後は、marちゃんの朝のユッタリ気持ちの良いビーチなDJing。
Toru君たちとひとしきり話した後に、後ろ髪を引かれながら12時ごろ会場を後にする事に。
むーん、今年の野外も終わりかぁ。
と言う事で、また8時間かけて東京に戻りましたとさ。
途中、車が炎上してたらしく40kmの渋滞でしたがドンマイ!
すみさん、お疲れ様ー。
みなさん、ホントにありがとね。
今回のnadarも、とても楽しませていただきました。
皆とゆっくり話したかったけど、喘息にやられたせいでちょっと残念。
でも、また次があるさ!
ということで、三重の皆は年末にでもー♪
あっちゃん、nadarチームの皆さんオーガナイズお疲れ様&ありがとう!

【appeteite:赤福】日経BPで特集組んでるけど、やっぱりまだまだ

赤福問題、マスコミの情報収集能力の欠如が明らかになるにつれ攻撃姿勢がトーンダウンしてきているのですが。
まぁ、白い恋人と違い行政問い合わせを行った上で「問題ない」と言う返答を受けての活動だったわけで。
その事実があるのに、そこを無視して報道を続けてたマスコミの意識の欠如は相当な問題かと。
『矜持』って言葉の意味、知らない人が増えたと言うことでしょう。
さて、本件遅きに失した気がしますが日経BPで特集が組まれました。
題名は、『赤福製造日偽装と食品表示の縦割り』。
さて、まず問題。
相変わらず『偽装』と書いてる。
そもそも、行政が問題ないと判断した表示をしてるものに『偽装』はねーだろと。
2chで、『それから保健所のお墨付きは10年前のお話でしょ。 』ってど素人の意見が出てたけどまぁこの辺は現在の日本の行政と立法と企業の関係を知らない子供の意見なのでオケ。
が、マスコミがそのレベルだとアレだよね。
免許事業だから、中央行政におもねて農水省の事を悪く言えず地方自治体を叩くと言うあまりに稚拙な手法をとってる件も自己保身のためなんだろうねー。
うんうん、機能して無いね。報道。
で、件の日経BPの特集。概ね、まぁそういう話だよねと普通に紐解けばわかる話が書いてある。
が、今の日本人の情報リテラシー能力を考えるとそのくらい書いてあげた方良いんだろうねーと言う話。
ただね、この特集にも穴がある。
『ただし、不二家の不祥事が発覚した1月以降、一部商品の冷凍を止めていることから、その違法性を認識していたとの見方もある。今後、仮に、メディアの取材攻勢によってアルバイトや元社員などから、過去の経緯などが明らかになり、類似する偽装が見つかった場合、リスクは拡大することになる。』
ああ、この記事かいてるおっさんも素人に毛が生えたレベルだなぁと。
不二家問題が発覚した当時、食品関係の独立マスコミではその対策等々や見直しについての記事が多く見受けられた。
そういう中で、メーカーも再度自らの製造方法を見直していき法的にクリアーになっていても見直せる部分は見直していくと言う自浄を行っていたのが当該の1月下旬以降。
きちんと事実関係を踏まえヒアリングをしてこの記事を書いていれば、実のところ新人の記者でも解るような話を裏づけを取らずに書くからこう言う稚拙な解釈を堂々と公開してしまうのかと。
そう思います。
日経BP結構好きなんだけど、最近のマスコミって大なり小なりこう言う手抜きするよね。
折角面白い記事を書くんだから、手抜きしないでちゃんとリサーチしてから書けばよかったのにね。
ここ、肝の部分だから記事の腰が折れちゃってるんだよねー。残念。
P.S.農政ニュースに、『若林農水大臣は12日の会見で「信頼の高い老舗のメーカーがこうした消費者を裏切る行為をすることは、社会的に大変重大なこと」と遺憾の意を表明した。』ってあるけど、そもそもJAS法をきちんと浸透させない自分とこの職員の職務怠慢に遺憾の意を表明していただきたいところです。いや、マジで!

【歴史雑記】さて、伊勢路とか

来週には、伊勢方面なので。
たまたま、mixiの某板で絡まれまして。
別段あれだったのですが、ちょっと調べてみたいなぁと思い。
『伊勢路』ネタ。
そもそも、徒歩で熊野道を制覇する気はないんですがその片鱗は感じたいなぁなんてね。
そう言う訳で、調べとくにこした事は無いでしょう。
さて、起点を『田丸』としている理由あたり。
そもそも、田丸は現在玉城町(昭和30年、「所謂昭和の大合併」の時期に合併)と言うらしいですね。
駅名は残ってるけど。

伊勢といえば、赤福かなぁということで赤福本店。

で、なんで田丸だったんだろうという話なんだけどここは南北朝時代に北畠親房が南朝側の指導者として度会家行の援護を受けてた時代に城を造った場所。
結果はご存知の通り、南朝敗北で北畠親房は賀名生で死去。
城は廃城となると思いきや、伊勢神宮を押さえる要として北畠家が再建。
戦国時代には信長の伊勢侵攻に伴い、織田家の居城の一つになるが時代が時代だけに巡り巡り最終的には紀州徳川家の所領となりその附家老の一人久野氏の居城となり明治時代まで。
という訳で、1300年代中盤から明治期までまぁ常に時代時代にそこそこ権力のある人たちに庇護されていたという理由もあり栄えていたようです。
そのため、宿場としても整理されていたので拠点になったようですね。

神宮の大木は、荘厳さと畏敬を感じさせられます。やはり、神域は静謐でいいなと。

熊野詣に向かう人々も、一生に一度の旅なんで折角なので伊勢によりついでに西国33箇所という道行きをとる人が少なくなかったようです。
当然ですが、このルートは東国(江戸方面ね)の旅人が通るルートです。
梁塵秘抄でも歌われている位のルートなのですが、実際に頻繁に使われるようになったのは江戸時代。
やはり、伊勢界隈が紀州徳川家の預かりとなり初代藩主の徳川頼宣が一里塚や宿場を整備して行ったのが隆盛になった最大の要因なんでしょうね。
いわゆる『伊勢講』が盛んになるのは1700年頃。
その頃が、伊勢路が最も隆盛を極めたあたりになるよう(あ、もちろん「えじゃないか」までね)。
参宮にあたっては精進潔斎が基本となるので、古市は帰り道の道程の御楽しみになる訳だったりですがその後熊野にもうでる人はまだまだ精進潔斎が続くため起点を田丸としたというのが真相かなぁ。

お参りの前は、必ずお清めですね。最近は、この手水鉢もハイテク化していきていますが。

そもそも、伊勢神宮界隈は神領なので宿等があるわけではないので田丸が宿となり「起点は田丸」といわれるようになったと言う事かな。
確かに、旅の疲れを田丸で癒しお伊勢さんに詣でて熊野を目指すと言うルートを取るとき拠点は田丸となるので言い方としては起点となるのかな?
「気分的」には皇大神宮を起点としてるんだけど、「実質的」には田丸が起点となる。
僕の解釈としては、そんな感じです。
古い文献を調べてもその考え方はまちまちで、田丸は皇大神宮を起点としたときの伊勢路で一番目の宿場町であって実際の『伊勢路』は「皇大神宮」から「熊野三山」までとなっているため(これは、紀州徳川家がこの地区を治めてからの考え方らしいけど)「田丸-皇大神宮間」は『伊勢街道』と『伊勢路』がクロスオーバーしていると考えていたものもちらほらある模様。
まぁ、今一番ポピュラーな考え方が「田丸を伊勢路の起点とする」と言う考え方なんでしょうね。
しかし、この界隈は調べてみると面白いですね。
何しろ、神宮と言う特別な場所があるが故に様々な思いが歴史とともに交錯していて。
今回調べてみて思ったんだけど、地名となっている度会家が今どんな感じなのかも興味津々。

【Diary】川崎大師に行ってきました

前に使っていた写真を差し替え。この方が、何となく空気感伝わるかなぁって。今振り返ると、まだ改装前で鄙びた感満載。

えっと、先週末は川崎大師に行ってました。
その日記書いてなかったので、今更ねw

【今回のルート】
川崎大師→門前町→若宮神社→寮を通過→LAZONA

本当は前日に行こうと思ったんだけど、あいにくの大雨だったので断念して日曜日に。
結果として今年は13-14日だったみたいなんだけど、どんど焼きに間に合わせるためにお札を持って川崎大師に初詣。ここ、厄よけで有名だし。
前日の大雨が嘘みたいに、凄く天気がいい。ビックリするくらい。天気がいいと言う事は、結構混んでるのかなぁなんて思いながら京急川崎に向かうと……。
案の定、大師線えらいことになってる。
トイレ行きたかったのもあり、一本過ごしたら幸い座れるレベルだった。タイミングだったのかなぁ?
と、ちょいとばかし安心しながら大師へ。
駅は、思ったより混んでない感じ(そりゃ通常時に比べれば尋常でない程居るけど)。
川崎が大きく変化する中で、この駅はそんなに変わらんなぁと言うのが一年ぶりに訪れた印象。
6年くらい住んだけど、結婚してからは初詣で降りるくらいだから年度ごとの印象になっちゃう。
ともあれ、大師の表参道へ。見た目としてはボチボチ。結構人は居るかなぁ位の印象…….のはずが。だんだんと迫ってくる人垣。
曲がり角を曲がる前に、もの凄い人の列にあたりました。そりゃ、天気良いもんなぁw。

一度でもお正月界隈に遊びにいった方はご存知かと思いますが、ここまだ入り口にすら入っていない状態。ここからが本番です(笑)写真暗かったから加工したら変に昭和な空気に。

逡巡してたんだけど、すみさんが「あっち、人が歩いて行ってる」と。元々住民だったんで、色々思い出した。そう、車の祈祷所のルートがあるんだったよ。
で、裏手に回ったらあった。一部のルートは警備員で封鎖されてるんだけど二つも一人で出来る訳でもなくダダ漏れ。
大体、みんな地元民なんだろうねぇ。自分もそうだけど。
結局、この手の裏ルートは知ってないと並んだ分を棒に振りそうでおいそれと手を出せないのが正直な所

毎年のことながら、本当に凄まじい人の入りです。さすが関東で5本指に入る、初詣先。

僕も、確実だと言う自信は無かったけど多分行けるだろうなぁって位の予測はあった。
まともに並んだら2時間くらいのルートを10分でショートカット。逆にそのくらいでないと、帰ってた気もするので良しと言う事で勝手に納得。
でも、中入ったら入ったでこれがまた順番ズッコになってて。当たり前だけど。毎年の風物詩だねぇ、これは。
「ゆっくり すすんで くださーい」って延ばしてるプラカードが微笑ましい。何となく、心が優しくなる感じがする。
本当は初詣って今年一年の祈願に来てるのに、あの混雑だとちょいと殺伐とするからね(ショートカットしたお前が言うなと……)。
そんなこんなで、本堂をお参り。
ここはお寺さんだけど、やはり古い場所には空気と趣があって好き。中に入ってみたいけど、まぁこんな日取りでは絶対に無理。
と言う訳で、厄よけと不動明王のお札を頂き屋台へGO!
これも、縁日の醍醐味だから絶対にはずせません。
今回食べたのは、じゃがバターと飯蛸のたこ焼き(実は、此の飯蛸のたこ焼きを10年にわたって各所で同じおじさんからテキ屋のおじさんから買っては食べ続けているのです:2019年2月10日追記)。
じゃがバターって、美味しいよね。何ともシンプルなものなんだけど、家では作れん。あの蒸し器、凄いもんなぁ。
ほいで、飯蛸のたこ焼き。これ、まるまる一匹入ってるのね。剛毅だ。で、当然かもだけど美味しい。美味しいと、嬉しい。
良いなぁ、やっぱり。

本文中では触れていませんが、あの有名な金山神社です。まぁ、ほら、あれですよ。

帰り道では、飴を馬鹿みたいに4袋も買ってみたりくずもちを二箱買ってみたり。
一体、どれだけ食べるんだよ俺らw。
久寿餅は食べ比べてみると、やっぱり住吉屋総本店のが美味しいですな。
餅に適度の弾力とほんのりとした甘みがある。これが大事。
これ、吉野葛で作ってるのかなぁ?と思ったら熟成させた小麦澱粉なのね。
あー、ラゾーナの話も書きたいけど恐ろしく長くなって来たなぁ。大師の話。
ラゾーナの事は、また別の機会に書きます。
一言言えるのは、「意外に楽しい!ここ」と言う話。
カリフォルニアピッツァのお店に行ったんだけど、思いのほかイケテた。
イタリアのピッツァとは、また違った感じ。ジャンキーな味なんだけど、ヘルシーw。
ワカンネーナー(自爆)!

【歴史ネタ】昔、マンガで読みました:蘇我入鹿の邸宅跡か 奈良・明日香村ふもとで建物跡出土

共同通信より:発掘風景

『蘇我入鹿の邸宅跡か 奈良・明日香村ふもとで建物跡出土 2005年11月13日20時58分』
「奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)(標高148メートル)のふもとにある甘樫丘東麓(とうろく)遺跡で、掘っ立て柱建物5棟や塀などの遺構が見つかった。奈良文化財研究所が13日、発表した。94年には約20メートル南東で大量の焼けた壁材や木材、土など(7世紀中ごろ)が出土しており、そのすぐ近くで発見されたことで、今回の建物跡は、大化改新のクーデターで倒れた権力者、蘇我入鹿(そがのいるか)の焼け落ちた邸宅跡の可能性が高いという。同研究所は周囲の発掘を続け、日本書紀が描く蘇我氏滅亡のドラマを裏付けたい考えだ。 (article from asahi.com)」
何だか、国営飛鳥歴史公園の整備をして居たら見つかったらしい。
凄いね。
そういえば、マンガ日本の歴史でそのシーンを何度も読んだので覚えてる。
国家に逆らった罪で蘇我入鹿が首をはねられて、父親の蝦夷の邸宅も燃やされて蘇我氏が滅亡するシーン。
「何か、昔は野蛮だなぁ」って思いながら、何度も読んだのを覚えてる。
11月16日午前10時〜午後3時に見学会だそうだ。
行きたいなぁ……。
しかしね、なかなか難しいなと思うのは歴史解釈の問題。
さてはて、本当に蘇我氏は悪かったのかという話。
どの時代においても、主流派と反主流派が存在するのが世の常。
蘇我氏は、たまたま主流派に居たんだけどその後権力が移っちゃってやられるという構図だよね。
ま、これも仕方の無いこと。
多分、僕たちが歴史を習った時の解釈と今では色々様変わりしてるんだろうなぁ。

【Art】ただいま、北斎展やってます!

東京国立博物館・平成館にて開催中。
ここでの展覧会は、毎回なんだかつぼw。
北斎って、海外での評価が高く日本ではイマイチであったため多くの初刷りが海外に流出しちゃってるんですよね。
残念なことですが。
もちろん、版木もセットでと言うのが重ねて残念なところ。
どうも、日本人というのは文化の価値判断に疎いというか。
現在流行っている漫画なんかも、キチンと保管すれば文化遺産となりえます。
■『北斎展』
場所:東京国立博物館・平成館(上野)
会期:2005/10/25(TUE)-12/04(SUN)
時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
   毎週金曜は20:00まで(入館は19:30まで)
休館:月曜日


今回は、なんと言っても(個人的に)ゲストキュレーターとして永田生慈氏(太田記念美術館副館長兼学芸部長)が入っているというのが面白いポイントだと思ってます。
しかも、作品数はなんと500点!!
これほどの規模のものは、多分今回を逃すと最早一生ありえないのではないかと。
大げさな話ではなくて、実際この規模のものが過去に行われたのは1901年のパリ以来だから。
その上、肉筆画が130点って事も目を見張る理由。
いやー、良かったね。東京にいて。
そう思えましたよ。
『画狂老人卍』時代の作品なんて、もうKITTY GUYの粋に達してますから。
ホノルル美術館所蔵の北斎展を地元で見て以来だなぁ。
楽しみ、楽しみ!!
また、刺激を受けてクリエイティブの幅が広がりそうな予感。
これ見に行ったら、一気に制作に取り掛かろう。
多分、相当濃いつくりが出来そうです。

【追記】この時、僕が一番注目していたのは記載していますが大好きな太田記念美術館の有名学芸部長(当時)である永田生慈氏が参画していたこと。これって、浮世絵好きな僕にとって「これ行かずしてどうする!」っていう感じの事件だったんです。あれから、14年。永田生慈氏は昨年、2月に亡くなり彼のコレクション1,000点は島根県立美術館に所蔵されました。今森アートギャラリーで行われている北斎展にはこの永田コレクションが来ているのですが、多分これを東京で見ることができるのは最後の展覧会ではないかと思います。もし、たまたまこの日記にたどり着き、興味を持つことがあったのなら是非足を運んで永田氏の足跡を自分の目で確かめてもらえたらなと思います。浮世絵って、今の時代でいうとこのグラビアみたいなものなんですけど再度光を当てた永田氏だからこそ見ることができた地平がそこのあると思うのです。(2019/02/14 Noise)

【ShortTrip】横浜中華街にて:京華樓と會芳亭

昨日は、横浜トリエンナーレへ。
という事で、もちろんその日のお昼は中華街ですな。
昨日は、3連休の中日という事もあり結構中央の通りは混んでいる模様。
しかしながら、そう言う日だと言うのに裏手に入れば結構快適に歩ける状態。
お昼時だというのに。
それも、やはり霧雨がぱらつく曇天のなせる技なのか?
やっぱり、あれだよね。
天気悪いと、なかなか外出する気にならないのは皆同じ。
同日、ジャズフェス的な事もやっていたのに巧い事集客出来なかったのでは?と考えてみたり。
そうはいっても、やはり大通りにほど近いお店は混雑しているので裏手を散策。
前に一度見てて行ってみたいなと思っていた、京華樓【きょうかろう】にしてみました。

もちろん、四川だけに目的は麻婆豆腐です。

通常四川の麻婆豆腐というと、食べた後もう何を口に入れてもわからん的なものが多い中、こちらのものは一味違って滋味深いです。

さて、メニューなんですが僕たちは2000円のランチコースを。
その時は、それが一番スタンダードだと思ってたんですが700円のランチが多数存在していた模様。
結構良い感じのお店なのに、リーズナブルである事に改めてビックリしてみたり。
兎に角、2000円とは思えないくらいにきちんとしてました。
中華街、ピンキリだから2000円でも「ぇ?なにこれ」ってこともしばしば。
美味しさも良し、バランスも良しで、凄く満足な感じのお店です。
その麻婆豆腐なんですが、所謂四川と言えば『花山椒』をふんだんに使っているというイメージ。
ここのお店の麻婆は、この『花山椒』が隠し味程度に抑えられていてその代わりにそこはかとなく香る茴香の香り。
これが、僕にとってはたまらん感じでした。
ま、グルマンな人達に言わせれば『麻』と『辣』が効いてないと駄目だという人が多いですが、まぁこの辺は好きずきという事で。
もちろん、辛みは結構ありますよ。ここも。
適度なんですね、その辛さが。

ここはどれをとっても美味しかったのですが、特に麻婆以外だとスープがいけてました。
そう言う意味では、刀削麺【とうしょうめん】も今度食べてみたいところです。
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■四川料理 京華樓
〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町138番地
(関帝廟通りと香港路がクロスするポイント)
TEL:045-211-2866
FAX:045-211-2877
E-Mail:info@kyokarou.com
http://www.kyokarou.com/
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通常は東屋。今の媽祖廟近くにある公園です。実際よく出来た展示でした。

さて、この後ちょっと寄り道した先は中華街に忽然と現れた横浜トリエンナーレの作品にして宿泊施設。
『ヴィラ會芳亭』です。
これ、入った時には全く気付かなかったんですが公園の一部をあたかもそれ専用かの様に宿泊施設の一部にしてしまったとんでもなくユニークな作品なんです。
そのうえ、ここ二宿泊出来るってんだから2重に凄い!!
(残念ながら、既に宿泊予約は埋まってます。)
中華街のど真ん中で、2000円って言うんだから美術に興味が無くても面白かったのかもね。
むー、泊まりたかった。
作家は、西野達郎氏。
ドイツ在住で、公共物を取り囲み私的空間を造り上げるというコンセプチュアルアーティスト。
兎に角、発送が大胆で凄すぎる!
ドイツ在住で、常にドイツで動いている模様。だから知らなかったのか。

■『ホテル ヴィラ 會芳亭』
横浜市中区山下町公園
http://www.kaihoutei.com/

【Travel Japan】昭和にみた郷愁『川越旅日記』中編

さてさて、先日の日記の続きです。
着きましたは、西武新宿線終点の『本川越駅』。
勝手なイメージで、「凄いレトロな駅だったらどうしよう!門司港とかさ。」なんてワクワクしながら見ると。
「あり?何だか、恐ろしく普通に都会ではないですか……。」
これが、第一印象。
これは勝手な妄想なんですけど、もう駅前からいきなりファンタスティック大正ロマンみたいのを想像してました。
すみません……。そんな感じから始まりつつ、「えらい、女子高生も多いなぁ?」とか思いつつ。
地図をちろっとチェックして、『時の鐘』方面に歩を進めてみました。

街のそこここに、歴史を感じさせる建造物が立ち並んでいます。なので、歩いているだけでワクワク。ここまで街の空気が出来上がっている場所って川越くらいじゃないかなぁって思います。

駅前は、何しろ普通に栄えてます。
僕の住んでる、下井草なんて「ショボーン」な感じだけど。
西武線って、いまいち都会感が無いんですけど僕的にはそう言う居易い下町加減が気に入っていたり。
駅の出口が、PePeですからね。
まぁ、西武だから当たり前かw。
そんな無駄話はさておき、駅前の地図を確認して左に曲がってGO!
今回、そもそも思いつきだけに到着が15時と出遅れた為今回は『喜多院』と『川越城』は断念。
てくてく道なりに歩いていったんですが、ちょっと入ったところから既に風情がある感じなんですね。ここ。
言い方難しいんだけど、「廃れていない昭和の香り」そのもの。
結構、古くさい感じの町って場末感満載じゃない。
でもね、あんまりそう言う香りがしないの。
どうしようもなくださいモノというか古くさいものを売っている古くさいお店があるんだけど、
町の空気のお陰でそのお店も何だか良い感じにおしゃれに感じてくる。
というのも、京都の清水界隈とかみたいにばっちり観光モードという訳ではないのがまた良いのかな。
適度に観光地化されているんだけど、町自体がきちんと人が行き来する場として機能してるというか。

販売されているのものも、今風ではなくどこか懐かしいもの。昭和を知る僕らには、心が温まる風景がそこにはあります。

何となく、そう言うところが居易さを作ってくれてる様に感じました。
結構ね、色々興味深いお店もあるんですよ。
端切れのお店とか、風鈴のお店とか、骨董のお店とか、帽子専門店とか。
生活と観光が混在してるの。それはもう、カオス。
そんな中、歩を進めて行くとまず出会うのが『蓮馨寺』。
こちら、呑龍上人って言う偉い坊さんを祀ってる寺院でそもそもは学僧を多く輩出した“十八檀林(浄土宗の寺の学問所の事:ちなみに、その筆頭が鎌倉の光明寺)”の一つだとか。
その辺から想像しても、昔から栄えてた様に感じます。
むしろ今の方がちょっと落ち着いたのかな?
なんせ、川越城主にはあの歴史で習った『柳沢吉保』とかも居たみたいで……。
話はズレズレですが、まぁこのお寺広く間口が解放されていて憩いの場としても良い感じ。
そもそも、人が集う『場』としてのお寺はこうあるべきだよね。
手水鉢の屋根に彫り込んである唐獅子の細工が非常に繊細で印象的でした。
4体とも、表情豊かで見る価値ありますよ

柱の一角を守る獅子。

で、ここを過ぎてひとしきり歩くとあの有名の蔵造りの街並みに到達する訳です。
ここで、また勘違い。
てっきり、蔵の町だと思ってたんですよ。僕。
これは間違いで、家自体がまるで蔵の様に堅牢に作られてるんですね。
これは、1893年の川越大火を教訓にこの作りに移行していったんだとか。
そう言うの知ると、なかなか感慨深いですね。
その蔵造りの町並みも良いんですが僕的に特筆すべきだと思ったのはファサードに凝った看板建築群。
これ、戦後に流行った形式なんですが未だにこれだけきちんと残ってる町も珍しいですね。
都内では、かなりの勢いで壊されて行ってますから。
中央区界隈も僕が就職した頃にはまだ沢山あったのですが、10年後の今はかなり取り壊されてしまってます。
下の写真の喫茶店なんて、なかなか入れないこの建築に入れるという意味でも希有。
一人ではなかったら、絶対入ってたのに。
次回のお楽しみという事で、後ろ髪を引かれつつ通過いたしました。

う、今日もこんな時間なのでまた続きは後日。
えらい長引いてんな、この日記w。

※2019/02/04追記:何故か後編はありません。飽きたのかw