【Diary】たどころ君、ありがとう 090712

7/8(水)、音楽家のたどころーること田所知也君が天に召されました。
彼との出会いは、何年前だろう……。
うーん、多分5年前の扉ではないかと踏んでいます。
踏んでいますというのは、長く一緒に遊んでいる様な繋がりを感じてるからなんですよね。
というのも、彼とはSkypeを通じていつでも連絡が取れる状態だったので扉でバンド関係の話とかチルの運営の話とか
色々相談してたので深い話も多くしてて。
深い話を多くしていると、ずっと一緒に遊んでたのと同じ感覚になりますよね。
それです。
まぁ、時間というのはあくまで主観だと思ってて其の主観が言うには長いなと。
そう言う話だと思います。
なんだかね、とても凄いのに柔らかいでしょ。
でも、ちゃんとわがままな所とかもあって人間的。

2006年10月の城峰神社でのパーティーにて。移ノ瞬が準備中。右がたどころーる。

そんな田所君には、色んな無理をお願いして僕のやる祭に色々絡んでもらってました。
今年は、HEAVENS DOORが諸事情により例年通りG.W.にやる事が出来なくて上半期会う事が出来ず。
そんななか、やっと場所が決定して「よし、連絡!」ってことになり電話しようと思ってパソコンを開いたらtoitoiちゃんから訃報メッセージを貰いその後てらじん君から電話をもらったという次第でした。
正直、一瞬事態が飲み込めず硬直してたんですが、思い立って扉の面々にメッセージをした次第です。
当たり前の事だけど、人は「生まれ」「生き」そして「死ぬ」ものです。
だけどね、この時間は永遠に続くと思ってたりするじゃないですか。
諸行無常という言葉は聞くけど、パーティーの時間は永遠に続くみたいな不思議な飛び地の様な時間の連続と言うか。
僕の中で、HEAVENS DOORは一つのパーティーを時間を区切りながら連綿と続けてるみたいな所がどこかにあってね。
そう言う意味で、『家』って呼んでたりするんですよね。
その『家』で今年も会えるはずだった家族が、どうも先に逝ってしまったらしいと。
そう理解するのには、ちょっと時間がかかりました。
思えば、僕より年下のパーティーで繋がった友人を無くすのは、一体何人目だろうと。

なんだか田所君はずっとみていて、僕らが行くと「待ってたよ!」ッて言ってくれそうな気がしてます。

一人一人には限られた時間があり、その時間の中で最大限に生きているんだろうけど、でもやっぱり自分より若い人達が先に旅立つのは辛いですね。
次にあった時に、自分は何を話すんだろうと思っていたら其のタイミングは永遠にやってこない訳です。
だから、僕は改めてやっぱり時間と繋がりは大事にしなきゃなとか改まって考えたりもしました。
なにか、纏まりのつかない状況に有る僕にそれを気付かせてくれた彼に感謝です。
さて、彼を送る会ですが流石田所君の会に集まる人はそうそうたるメンツでビックリ。
というか、やっぱり人脈が広いなぁと改めて感心しました。
その人達の出す空気が、また良い感じ。
それが、彼を作っていた空気そのものなんでしょう。
てらじん君から聞いていた通り、音楽で彼を送る会になってました。
こういう会は、本当に良いですね。
そこには、まさかの人が居たりなんに何度も会わないけど深い繋がりのある友人が居たり。扉繋がりの人も、沢山居ましたね。
こういう場が、新しい繋がりを作ったり古い繋がりをもう一度強い物にしてくれたりする訳で。
そういうのも、贈り物だったりしますね。
田所君とは、もっと色々話したかったし遊びたかったけどこういうタイミングだったのかもですね。
安らかな眠りを、お祈りいたします。
あ!でも、気が向いたら欣求浄土厭離穢土は盂蘭盆会、扉は彼岸なんで遊びに来てね!!
僕らからも、勿論メッセージを送るよ。
ではでは、またどこかで再会しましょう!

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