【Diary】旅の記録:台北一日目~起きてから、なかなか行動しないのはいつもの事~

迪化街にある、水門。結構、海抜が低いのでいざという時に閉めるんだろうねー。しかし、かっこいい!

はい、こんばんは。
毎度の事ながら、無計画な旅を計画遂行するNOISEです。
今回も、『台湾に行く』って決めてからここに来るまでわずか一週間と言う無計画っぷり全開で着いてからもどこに行くかを決めてなかったと言う体たらく。
ちなみに、今日記を書いてる私は明日の目的地決めてません。
まずは、チェックアウトして次のホテルに行って荷物預けるんだけど決めてるのはそこまで。
まぁ、行き当たりばったりが楽しいんでそういう事にしときましょう。
明日明後日で今行きたいと思ってるのは、『迪化街』『建國南路週末市場』『士林』くらいであとはまた行き当たりばったりかと思われ。
猫空に行く事も考えてるけど、天気次第です。
寒くなかったら、『陽明山』も良いんだけど思いのほか気温は低いので今回は見送りだと思います。

と言う事で、やっと今日の話。
無計画な私ですが、今回一カ所だけ行く事を決めて居たのが国立台湾博物館。
東京や京都の国立博物館と比べると規模は小さかったんですが、台湾の原住民族の生活の展示とか国定公園の企画展示があったりして楽しかったです。
個人的に一番面白かったのは、「咱ㄟ房間─臺灣百年生活思想起特展」。
何かと言うと、台湾の100年の歴史を今を『私』に見立てて『お父さんお母さんの時代』、『お爺さんおばあさんの時代』、『曾爺さん曾婆さんの時代』、『もっと昔』に分けて部屋を創って地下で展示をしていた企画展。
日本との関係が、これを見るとよく見えるなと。

写真の撮り方なんだろうけど、こういう路地裏も色んな所にあって好き。アングラ感。

製品に、「日中合作」の文字が印刷された物が多い時代を見ると「ああ、この時代がそうだったんだなぁ」と思いを馳せてみたりしてました。
そうそう、3階では修復の企画展をやってたんですが昭和天皇陛下がまだ親王だった時代に台湾を訪れた際に使った列車のパーツの修復品とかその時代の東京地図とかあったりした事に感銘を受けてみたり。
こういうのを見ると、その時代に対する悪意を感じないので日本と台湾の関係ってやっぱり悪くないんだろうなぁと思ったりします。
さて、この博物館がある公園には、『悲情城市』の元となる話『二・二八事件』のモニュメント『二・二八事件紀念碑』もあったりします。
日本人として、あの事件は本当に悲しいなと思います。
今日は、『二・二八事件紀念碑』と『中正紀念堂』の両方に行ってきたんですがたまたま後者には日本人が多くいて本省人のガイドの方が案内をしていたんですが「私にとっては、恨みしかありません。皆さんには、関係ないですけどね。」と蒋介石を語っていたのが印象的でした。
『悲情城市』を見ていたからこそ、その言葉の意味が僕にも分かります。

その後、お昼ご飯は近所の金峰魯肉飯と言うお店で魯肉飯と油豆腐を。
ちなみに、ここって有名店なんですねー(良くわかってないw)。
魯肉飯は、前に来たときに美味しかったんで食べよう食べようと思ってたメニュー。
甘辛くにた豚肉をかけた、そぼろご飯みたいなもんです。
ちょっとシステムが良くわからなかったんで焦って頼んじゃったけど、他にもメニュー見て頼めば良かったなぁとか。
でも、小腹が空いたので近所で赤肉胡椒餅を買ったんでドンマイ!
そっから、また何を思ったのか大移動で圓山へ。
目的地は、孔子廟と保安宮。
と言うのは、前回の台湾の時は孔子廟が工事中で殆ど見れなかったんですよ。
で、行ってみたんですがうーん…..。
その後、ちゃんと参拝をしたはずの保安宮へ。
もう一度お線香を買って、現地の人のやってる事を見よう見まねでやってみてたんですが実は前回ちゃんと回っていなかった事が発覚。
と言うのは、裏側に4階建ての建物があってその4階が最終的な到達点だったようなのです。全然、気付いてなかった。
ここは、見晴らしも良くて上る価値のある場所でした。
しかし、お寺さんに行って思うのは若い人もちゃんと熱心にお祈りをしている事。
こういうのって、日本では見られないなと思ってね。

夜市は、どこに行っても賑わっていました。今はどうなんだろうね?

寒くなってきたんで、夜市に行こうかなぁって思い。
普通に考えればすぐ近くの士林に行くのに、また思いついたのが臨港街観光夜市に行くと言う……。あのとき、なんでか知らんけど牡蠣の卵とじが急に食べたくなったのと『脚神-健康養生館』に行きたいなぁってのがあって。よくよく考えたら、圓山から相当遠いのにねー。
でも、このホテルのある忠孝復興駅と同じ線なので結果オーライ。
今回は、時間も早かったんであまりお店が開いていない状態だったため最初にマッサージ。それも、90分コースにて。
恐ろしくこってたんですが、ベテランの方にあたったみたいで良い感じにほぐれて足や体が軽くなりました。
もう一回くらい行くと、相当いい感じに成るんだろうなー。
その後、うろうろしてたどり着いたのはなんと前回牡蠣の卵とじを食べたのと一緒のお店(顔覚えてたんで)。相変わらず、好吃ですた。
なぜか、5台湾圓負けてくれたし。
近所で食べた、香腸も美味しかった。
閉めは、ホテルの近所でテイクアウェイした芋園。
くいだおれな、一日でしたとさ。
明日は、小龍包食べに永康街にも行ってみるかなー?
あ、また中川元財務大臣の映像をCNNが流してる(苦笑)。

唯一残っている、2月20日の写真。空の写真から、何から一切合切ない。。。

【追記】もう、時効だから書きますが2008年に某有名企業から落下傘で降ってきた上司からものすごい強烈なパワハラにあって心身ともに疲弊して、産業医から勧告が入って長期療養になってたんですよね。2008年末から。これは、その療養に入って3ヶ月目くらいでやっと外にも出れるようになってきたのでということで、リセットするためにスミさんと相談して一人で台湾に行った時の記録です。初日。ただ、そういう状態なので、いつもなら大量に撮影をしているはずなのに、なぜかこの初日の写真が一切合切欠落している。今の僕の仕事からすると、本当にあり得ない事態なんですがデータベース上にこの日だけ写真がない。ただ、当時の心身状態はよろしくなかったことは想像に難くないので、多分記事用にデスクトップに落としはしたもののDBへの登録が抜けていたのではないかと思います。

金峰魯肉飯で食べた魯肉飯は、今でも心に残っているくらいなので写真が残っていないのは本当に残念。だけど、覚えているからまだいいかって感じですね。国立台湾博物館もすごくいい場所で、周辺の森も含めて撮影したことは今でも覚えているんです。でも写真が残っていない。今考えてみると、ほんと訴訟モンだったよなぁと思うのですが、なんせ精神的にもやられてたのでそういう風には動かず。ただ、当時の人事は本当に良くしてくれたので色々感謝しています。今でも、「何が起こっていたかは知っています。ただ、今の我々では何もできません。」と言われた事には驚愕しましたが、それだけ圧が凄かったんだろうと。

まぁ、その割には文章のタッチは軽いので旅に出た事が解放につながっていたのだろうなとちょっと改めて読んでほっと胸を撫で下ろしていたりします。社会に出るって、なかなか大変ですよね。これからも、気楽に暮らそw。(2021.01.15 Noise)

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3件のフィードバック

  1. die より:

    27日から台北いくので(社員旅行ですが、、)興味しんしんで読ませてもらってます。
    魯肉飯メモメモ。

  2. 上海の博物館

    各国の博物館や資料館をめぐるのを楽しみにしている方もいらっしゃるかもしれません。上海には、さすが陶磁器の国だけあって、青銅器や陶磁器のコレクションで有名な…

  3. NOISE より:

    dieちゃんの、台北日記を楽しみにしてます。

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