【Monologue】川崎Nostargia:大島市場(川崎市川崎区大島)

都会化した川崎も良いけど、やっぱりローカル臭が漂いすぎている川崎が大好きだ。
そういう意味で、浅草とか巣鴨もとても良い場所。
僕らが子供の頃って、こういう団地風のショッピングセンターが沢山あったのを今も覚えてる。
いや、団地の下部が商店になっていたと言う方が良いのかな?
高度経済成長期に建てた団地って多分その場所である程度完結する事を前提にしてたのでこういう構造になってて、確かうちの近所の団地もこういう感じだった。
そして、味も素っ気も無い所がなんだか工場チックなんだけどそれがまた僕の好きな廃墟の体をなしていて良い。
一体どんな人が住んで、どんな暮らしを送ってて、そして部屋はどうなってるのか?
意外にハイテクで、光ファイバーが通ってたりしてw。
トイレは共同?それとも、部屋毎にあるの?
洋式なのかな?和式なのかな?
もう、ほんとそれを妄想するだけで一日が潰せそうな位な不思議と謎を内包する昭和のレリクスに乾杯。

【追記】いくら検索しても出てこないので、Google Mapで遡って色々くまなく探索していたら。遂に行き着きました。が、残念ながら2010年に取り壊されていたみたいです。
現状は、JAになった部分と駐車場になった部分があるのですが、所謂都市住宅公団の持ち物ではなかったのだろうなーと推察します。こういう昭和遺産、本当にどんどんなくなってきているので、今のうちに撮影に行っとかないと駄目だなぁと思うこと仕切り。ちなみに、住所は「神奈川県川崎市川崎区大島4丁目13番」界隈。

ちなみに、大島市場そのものはなくなってるんですけど、近隣が商友会を形成していた名残か、まだ商店会は存続しているようです。
https://k-shouren.jp/shop-information/tajima/

上記のリンクの先に、地図が載っていたり。(2024.03.12. Noise)

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1件の返信

  1. N より:

    お世話になっております。
    自宅の検索をしていてこちらのページに出会いました。

    取り壊された年は2010年でしたね、当時慌ただしく立ち退きましたので年月をはっきりと覚えていませんでした。

    私はこの「大島市場」で生まれ育ちました。
    「大島市場」は戦後から約20件の商店が集まって商売をしていたそうです。 
    昭和38年頃に鉄筋二階の建物に建て替えられ昭和48年頃に3階が建て増しされました。
    一階は商店、二階、三階は主にその店主家族が居住されていました。 一部は賃貸もありました。 
    トイレは各家庭にあり玄関は各個別に設けられていました。 間取りは二階、三階二部屋づつです、キッチンは2畳程でした、昭和48年頃までは風呂は無く近所の銭湯へ通っておりました。
    以降は3階に建て増ししたタイミングで各家庭に風呂を設けました。 

    当時は小学校の登校下校の時間には多くの児童が店の前を通り近隣の住人や子供達同士で挨拶を交わしておりました。

    近隣にも商店街がいくつかあり夕方には多くの買い物客でにぎわっておりした。
    ピークタイムが過ぎて落ちくのは19時頃、それから店の片づけをして21時頃閉店と言う感じでした、大晦日は22時頃迄営業していました。
    平成の頃には子供たちは巣立ち親世代が細々と商売を続けている状況でしたので屋内は光ファイバー等は縁が無く昭和レトロそのものでした。

    市営団地は8棟くらいあったでしょうか?その奥にはいすゞ自動車の社宅があり多くのクラスメイトが生活していました。
    間取りは二部屋とダイニングキッチン、トイレでしたね、
    一階で営業していた蕎麦屋「一二三や」は味も良く人気ありました。
    生活風景は「ザ・昭和」でした。

    市営団地は現在は建て替えられ新たな入居者が生活されているようです。
    大島市場は現在営業しているJAが近隣から移転するとの事で買収されました。
    居住者は立ち退きとなりました。 バス通り沿いは営業所として奥半分の土地は月極駐車場として経営しているようです。

    お陰様で当時の生活を懐かしむ事が出来ました。
    貴重な記事を有難う御座いました。

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