【Diary】2007/11/16 遡り日記:日本橋→六本木

20071116 日本橋
日本橋にて。この造形、やっぱりかっこいい。高速道路なくなると、尚いい感じ。

この日を思い起こしながら、日記をば書いてみる。
最近、忙しすぎてタイムリーに書けないんだよね。
写真を入れなければかけるんだろうけど、それも味が無いじゃない。
でも、入れるとなるとカメラからパソにDownしないといけないしリサイズもあるから億劫になっちゃって。
そうこうしているうちに、日はドンドン過ぎて行って「あー、もうネタとして古いなぁ」なんて思うとドンドン経過して行って。
悪循環ですな。
でも、折角良い写真が撮れた時の事は記録しておきたいので日記。
同時に、サイトの表紙で写真をアップと言う図式かな?
なんだろうね、まぁ記録と言う感じで忘れない様に記述します。
ご存知の方も多いと思いますが、私ここのところとみに仕事が忙しいです。
何と言うか、役割が急激に増えて来ている上に所属部署が曖昧模糊としていると言う。
まぁ、昔からなんですが所属部署の仕事を一切していないため上司が面接で「君がどういう仕事をしているのか実はよく分からないんだけど」と平気でほざく様な状態です。
モチベーション下がるから、そう言うのやめようよと言いたい所ですがその辺は聞き流して面接を終えましたが。

20071116 日本橋裏手
当時は、日本橋が再開発前で古くて趣のあるビルが多々ありました。

と言う事で、晴れて先週所属部署を面接後部長に直訴して無理矢理変更。
会社って、意外に簡単ね。さて、最近はいつもの酒の仕事に加工の仕事が入ってきまして。前からやりたいと思ってたんですが、やっと入ってきますた。
いきなりハードルの高い仕事ですが、やるからにはきっちり全体を見直せる仕事に繋げて行きたい所存です。で、うちの加工事業の事務所は日本橋なのね。
と言う事で、個人的に『日本橋高島屋』や『日本橋三越』などの百貨店らしい百貨店のイルミを施された外装を眺めながら移動出来るのは至福。
腐っても創り手なので、やはり美しい造形は何で見ても飽きないもの。
この日本橋界隈は、裏手に回るとまだまだ昭和の情緒が沢山残ってまして。
特に、夜になってからのあのタングステン色を感じる照明に彩られた街はなかなか味があって良い感じです。
この日、日本橋の打ち合わせを終わらせた後には打って変わって乃木坂で打ち合わせ。
そう、MIDTOWNの裏手ですよ。

20071116 MIDTOWN
2007年当時のミッドタウンイルミネーション。まだ、シンプルな感じでした。

この界隈は、逆に再開発で一気に風情が無くなりましたね。残念ながら。
裏手にいくと、まだまだ細々とは残ってますがほとんどがモダンなファサードにやり変えちゃってて永井荷風が暮らしていた時代の情緒なんてモノは皆無。
デートスポットとしては良いんでしょうけど。
若干ファサードは違うけど、根本論としてバブル時代と方法論が変わらない不動産ディベロッパーの面白みが皆無のお仕事の手法には辟易。
もうちょっと、『驚き』と『進化』をその仕事に盛り込めないんでしょうかね?
バブル時代は、まだその『驚き』があるだけその場に赴く『意味』を感じてたんですけどね。あまりにもつまらない『都市』だなぁと、あらためて感じました。

【追記】また、悪態ついていますよね。当時、僕がどの部署に所属していて、どのように直訴してどの部に行ったのかについてはちょっと定かではないです。何気に、もう14年前の話なので。ただ、もう某社の傘下に切り替わっていたのでクドクド言っていた上司はその後の悪夢につながるあの人だと思われます。まだ、やってきたばかりで無茶はしていなかった時期ですね。

当時、再開発真っ只中で古い街をガンガン壊して新しい街を作る事がブームっぽくなっていました。六本木のMIDTOWNができたり、汐留ができたり。いろんな街が、大きく変化していった時期です。今の渋谷の工事は、その集大成って感じですかね。ファサード建築好きとしては、かなり我慢ならなかったのでしょうね。その上、仕事でも状況が徐々に変わりストレスも溜まっていたのでしょうし。(2021.01.15 Noise)

おすすめ

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください