僕の生き方

060123tibet.jpg常に何だか、渇いている日常。
やりたいことに溢れ、常に時間が無いという焦燥感に駆られる毎日。
でも、日々が充実していることを求め走る。
常日頃、反省するたびに思うのだけれども僕の生き方はある意味刹那的。
何だか、『死』と言う逃れられない概念に向かい常に疾走を続けている気がする。
別に死にたいとかそういうのとは違い、ポジティブな意味での疾走。
そう、思うに人の人生というのは長いようで短い。
『その短い人生の中で、一体何が出来るのか?』
それを、常に背中に背負いながらそして体の中に飲み込みながら走っている。
『モノを作ること』『文章を書くこと』『音を発信すること』『デザインを創造すること』『場を作る事』。
それ全てが、自らの中にある衝動の果てに産まれた子供。
多分、この生産は『死』が僕自身に頚木をつけるまで終わることなく続く。
人は、年を取ると現実を知り想像力を失いそして老いに向かうという。
本当にそうなんだろうか?
何だか、年をとれば取るほど実現できる物事が多くなっていきそしてより強い渇きを覚えるようになっている気がする。
若いころは、「此の辺で良いかなぁ」とも思っていたことが今ではそうもいかない。
自らへ課す要求のレベルがドンドン上がっていく。
正に、終わることの無い見果てぬ夢。
そんな夢自体は、実は自分ひとりの力によって実現されるものではなく多くの人に支えられて僕が走っているという事実は自分でも認識しているつもり。
そのことを忘れてしまっては、結局のところ何も成し遂げることは出来ないし。
さぁ、今日もまた新しい妄想と想像の世界へ。

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