【Diary】今日の御散歩は:『荻窪』流しました 060116

今日は、食洗が届くって言う事で家から出るのが大幅に遅れてしまい15時過ぎに出発。
その間に、青空が曇り空に変貌すると言う悲しい出来事が…….。
まぁ、しゃーないけどね。
と言う事で、ご近所を自転車で流す事にしました。
目的地は『荻窪』で、流すのは本天沼界隈。
何と言うか、まだ昭和情緒が漂っていると言う意味ではなかなかDEEPな街です。
この辺は。
街自体は、何となく天沼の方が古いみたいで続日本紀に『乗潴【あまぬま】』と言う地名で出て来ている様子。
荻窪は、江戸時代みたいですねぇ。雰囲気的に。

昔は、豊島だったみたいですが太田道灌に滅ぼされたからは色んな人が知行した様子。
しかし、本当にこの界隈は太田道灌以前と以後で大きく別れる所が多いですね。そう言えば、昔石神井池に豊島氏の隠し財産が見たいなのを読んだ記憶もあるなぁ…..。
さて、最近は東京と言うと『六本木ヒルズ』だの『お台場』だの『汐留』だのまぁメディアにやたらと紹介される金太郎飴スポットが人気だったりするんですが僕的には昔からの情緒と戦後間もない頃から続くカオスな空気。そして生活が入り交じるスポットが好きだったりします。
そう言う空気を携えている地域の一つ集合が、中央線界隈。
この、全く持って今風に洗練されてない空気がたまりませんよ。実際。これこそ、亜細亜!

昨今、まるで明治期の文明開化の様に旧来の町文化を破壊し欧米チックで無機質な街を作る建築ディベロッパーの祭典が東京ではそこかしこで繰り広げられている訳ですが結局の所日本人本来の生き様と微妙にマッチングしないやり方が故に最初は鳴り物入りでみんな群がるけれども後が続かない。
何でかと言うと、そこに生活者の空気が微塵にも感じられないから。
亜細亜全般で見ると、『カオス【混沌】』と言う言葉が一番に出てくる気がします。
時代や、民族文化、そして個々人の生命力と超えにならない叫び。喜怒哀楽。生と死。
今の世の中では、残念ながら『生と死』は遠ざけられるけど実際『食』がそこに一番近い存在。
それも、こぎれいな格好をしてよそ行きの顔をしていくのではなく立ち飲みの居酒屋みたいなのが駅前にあってそこにビールや焼き鳥を頼んだりする喧噪がありその場に老若男女が集っていると言う構図。
これが、何だか心をホンワリさせてくれるんですよ。
そう言う場所に行くと、何だか元気が貰えるんです。

2006/01/15 16:17

「あー、日本人で良かったなぁ」そう素直に思える瞬間と言うか。
タイに行った時も、そう言う空気がバンバン街に溢れ返ってましたね。皆、金はないけど生き生きしてる感じ。
変な淀みが無い。
昨今の日本は明日が見えなくて、「何かにすがりたい」「何かに変えてもらいたい」と言う思いがうねりとなってどうも悪い方向に向いてる気がするけれども実際の生活の場はそんなに腰砕けではないはずだと感じるのもこういう場。
「ああ、何かやらないとね!!生き抜く為に。」
そう思える、こういう場にたまには足を運ばないと心が折れちゃうね!
しかし、今日本天沼を流してて見つけたんだけど未だに飲み物全て300円のお店があった。
いやー、面白いね。
何か、荻窪日記のはずが心情の吐露になっていると言う不始末。
まぁ、日記だから良いやw。

【追記】なんだかんだ言って、昔から中央線沿線好きなんですよね。当時は結構再開発がガンガン進んで古い街が取り残されていってる感が半端なかったんですよね。その中で、中央線沿いは相変わらず緩かったんですけど。ただ、目的地が「新しく作られた街」に当時なっていたことは間違いないと思っています。
考えてみると、その口火を切ったのが「恵比寿ガーデンプレイス」な訳で、今一周回ってそこに関わっているのってなんか感慨深いなぁとか思っています。
最後の一枚に写っている「珈琲の店 モア」は2014年には閉じてしまったようです。こう言う味のあるお店がどんどん閉じていってて。特にコロナ禍で一気にって感じでしたね。
二枚目の写真に写ってる、荻窪といえばここと言える居酒屋の名店「鳥もと」さんも、今は場所がちょっと変わっている模様。
今からでも、行けるお店は足を運んでおかねばなぁと思う今日この頃です。(2023.12.02 Noise)

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