【Monologue】考えている事 071107

当時の写真は、今見ても独特の色を帯びていて「綺麗だなぁ」と思うと同時にどこか狂気のようなものを感じたりもします。それは若さかもだけど、単純なものではない何かがあるなと思うのです。
当時の写真は、今見ても独特の色を帯びていて「綺麗だなぁ」と思うと同時にどこか狂気のようなものを感じたりもします。それは若さかもだけど、単純なものではない何かがあるなと思うのです。

何と言うか、『まだ見ぬ何かを探す旅』というのは『終わる事の無い旅』で。
それが、『終わる事がない』と言う事実がその『渇き』を『行動』へと昇華してくれるのです。
その『昇華』の一つの形が、『パーティー』だったり『サイトの構築』であったり『文章』だったりするのですがその形は一つではなく『無限の可能性』を秘めた『』だったりするわけです。
僕を突き動かすその『華』への渇望は、『好奇心』
『知らないもの』を『知りたい』と言う気持ち。
これは、ある種の麻薬的な創造を僕の中に醸成してくれたり。
それは、『夢』と言う言葉でも語れるのかも。
所謂、睡眠下の状態で見る夢でも夢見る形で見る夢でもなく。
覚めてみる夢
なんだろう、それを常に追い続けているのが僕の人生。
そして、それが僕の生き様。

写真そのものが、当時の心象風景なのかもですが兎に角独特の色を帯びている。今の僕には、こんな色を帯びたひまわりは撮れんなあと。
写真そのものが、当時の心象風景なのかもですが兎に角独特の色を帯びている。今の僕には、こんな色を帯びたひまわりは撮れんなあと。

そういう意味で、僕はあまり『トブクスリ』を必要としていないのかもしれない。
常に、『幻想』と言う言葉で語るにはあまりに語りきれないけれどありていに言えばそのような状態にあるから。
『生きている事、そのこと自体がとても稀有な事でその事を大事にするのが生きると言う事』
それを与えてくれたのは、僕を生みそして育ててくれた両親。
そして、家族。
彼らの出会いが無ければ、この感覚を味わう事すら出来なかったと言う事実。
いや、『存在』すらなかったわけで父と母が出会いこの世に生を受けた事に感謝の念を隠す事は出来ない。
そして、ここまでの人生で『僕』と言う人間に関わってくれた人々。
REALとNETにかかわらず、多くの人と出会い別れていったと言う事実。
その事実によって、『今』がある。
その『今』を形成している事象は、須らくその『蝶の羽ばたき』の結果。

多分、独特の「眼」を当時は持っていたような気がします。今は今で、また違う視点なのでいまの視点も好きなのですが年を取った分だけエッジが柔らかくなった気します。
多分、独特の「眼」を当時は持っていたような気がします。今は今で、また違う視点なのでいまの視点も好きなのですが年を取った分だけエッジが柔らかくなった気します。

無意味なものなど、実はこの世の中に一つも無く『相対性』によって全ての『森羅万象』は成立し自らもその大きな流れの重要な事象として存在している事を強く感じる。
よく、『自分はちっぽけな存在』と認識する事でバランスをとる事もあるが最近は『αでありΩである』と言う言葉の方が実は事実なのではないかと思う事も多くなった。
なんだろう、全ての人がそうなのではないかと思うのだ。
そう、なぜなら『無意味』な存在などどこにも無いと思うからだ。
が故に、腹の立つ出来事すらも『何かの意味』があるに違いないと思い自らに必要なものとして受け入れなければならないと考えてみたりする。
そうすると、何故か楽になったりする。
それが、『生きる』と言うことの意味なのかもしれない。
最近、『死』という事について考えることがある。
実はその『死』も相対的な概念で、今の『生』と言う事実があるからあるのかと。

改めて読むと、やはり僕らしい言い回しが多いですね。何かを伝えたいというポイントを鉤括弧で囲む癖は今も同じ。ただ、この夢見るような言葉を使うことが減ったなぁと思うことしきり。なんだろう、もっと自由になった方がいいのかもですね。
改めて読むと、やはり僕らしい言い回しが多いですね。何かを伝えたいというポイントを鉤括弧で囲む癖は今も同じ。ただ、この夢見るような言葉を使うことが減ったなぁと思うことしきり。なんだろう、もっと自由になった方がいいのかもですね。

全ては、連綿と続く『流れ』の一部に過ぎないと考えれば別段焦る事実ではないのかとも。
でも、僕自身は『生きていた痕跡』をどこかに残したいと言う思いがあるので『渇き』に忠実に行動する。
それは、別に『誰かのため』ではなく『自分のため』。
それが結果として、誰かのためになるのならそれは重畳。
ただ、そのために行動する事はしない。
結果のために行動するのではなく、『渇き』のために行動するのだから。
それが、『生きる』と言う事でありその事を『感謝』し『享受』するために僕はまた新しい何かを探して旅に出る。

まぁ、実際こんなですもんね。当時。この時代があって、今があるわけで人って色々経験した方がいいよなーと思うのです。閉じこもってても、何も得られないしね。

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4件のフィードバック

  1. 55 より:

    俺の旅もマジ終わりませんw
    好奇心だけで生きてます。

  2. 遊透 より:

    わしの食欲も終わりません。
    好奇心がやつを突き動かすのです。。

  3. じゃんけ より:

    人生とは。。。旅ですね
    旅とは。。。人生ですね

  4. NOISE より:

    よね>
    そうだよねー。
    よねも、そうだ!
    つか、そういうところ俺ら似てるよね。
    そういう意味でも、今のあなたのスタンスには憧れるのです。
    手に職があるから、出来るんだなぁって。
    僕の仕事は、独立しても出来るけど何だか会社に居る方がラクチンだったりするので今の立ち位置を捨てる事が出来ずに都会でグダグダ。
    どっかで、ガツッと踏ん切りつけないと無理なんだよね。実際。
    この年齢になっても捨てない好奇心は、本当に大事です。
    宝。
    遊透>
    食欲かいw!
    まぁ、遊透も若いからまだまだ尽き果てる事の無い発想の泉を持ってそうだなぁ。
    良いなぁ。
    この年齢になるとね、ちょっと足が遅くなってくることをたまに感じるときがあるよ。
    そうならないように、努力なんだが。
    じゃんけちゃん>
    そうそう、人生は常に「旅」。
    その旅は楽しんで何ぼなので、どんな事があっても糧とするべく生きるのです。
    それが、生きているものの義務だとも常に考えつつ。
    僕には、亡くなった妹が居るので(たまに、ふと思い出すのです)。

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